大日本製糖(株)『日糖最近二十五年史』(1934.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
1月24日 藤本、瓜生、今井、潮田の各監査役は東京銀行集会所に一部株主を招集し事業及び財産に関する状況を報告す株主は其の整理方法並に実行を全監査役に一任す
2月10日 前田亀之助氏監査役辞任
3月8日 有志株主は監査役の名を以て一部株主を築地同気倶楽部に招集し、協議会を開き後継役員選定に関し、尽力す可き委員藤山雷太、浜本義顕、大海原尚義、仙波太郎右衛門[、]阿部吾市の五氏を選挙す
4月22日 日本橋区蛎殻町三丁目十二番地新築出張所落成に付移転す
4月23日 藤山氏外尽力委員は築地同気倶楽部に一部株主を招集し経過を報告す
4月27日 臨時株主総会を日本橋倶楽部に開き役員全部改選の件を附議し、渋沢男爵に指名を一任し藤山雷太、星野錫、浜本義顕、中村清蔵、恒川新助の五氏を取締役に、大海原尚義、指田義雄の両氏を監査役に確定、相談役渋沢男爵も参加互選の結果、藤山雷太氏社長に就任、渋沢男爵も依然相談役たる事を承諾せらる
6月17日 臨時株主総会に於て取締役に高山長幸、伊沢良立の二氏監査役に金平豊太郎氏当選す
6月24日 明治四十一年十一月七日より休業中の東京工場は製造を開始す
7月22日 商務本部を大阪より本社へ移転を了す
7月27日 台湾総督府令第五十二号を以て砂糖消費税法施行規則を公布せらる
7月31日 大阪市大火に際し同市若松町一番地所在当社出張所構内倉庫一棟類焼せしも事務所は幸に焼失を免かる
8月8日 若松町大阪出張所を大阪府東成郡城北村都島工場に移転す
8月11日 商務部大阪販売店を同市南区順慶町二丁目二十五番地に移転す
8月16日 若松町元大阪出張所事務所跡を大阪同生病院に賃貸す
9月25日 台湾工場拡張の見込を以て事業変更、原料採取区域拡張願書を台湾総督府に提出す
11月7日 大阪市南区順慶町所在商務部大阪販売店を同市北区中之島三丁目六番地大阪倉庫株式会社内に移し同所に於て執務す
11月30日 臨時株主総会にて改選の結果取締役に藤山雷太、星野錫、浜本義顕、中村清蔵、高山長幸、伊沢良立、金平豊太郎の七氏監査役に指田義雄、大海原尚義の二氏当選す
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
2月8日 勅令第八号を以て砂糖消費税法施行規則中改正の件即ち消費税未納税担保物に工場財団を加ふる等の規定を公布せらる
2月9日 台湾工場専用鉄道線路の敷地に当れる他里霧堡外六筆官有地の払下を出願し許可せらる
2月17日 過剰原料処分のため改良糖廓借用の件嘉義庁を経て願出許可せらる
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