※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月5日 | 浜松軽便鉄道敷設認可 | 当社関連事項 | |
3月9日 | 中遠鉄道(株)設立 | 一般および業界事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 東京にタクシー出現 | 一般および業界事項 | |
10月1日 | 浜松軽便鉄道(株)創立総会開催(取締役社長伊東要蔵) | 当社関連事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 東海道本線、全線複線化完成 | 一般および業界事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 浜松師範学校設置 | 一般および業界事項 | |
4月7日 | 大日本軌道(株)浜松支社、笠井線開通(西ヶ崎~笠井間) | 当社関連事項 | |
7月28日 | 第1次世界大戦勃発 | 一般および業界事項 | |
8月23日 | わが国、対独宣戦布告 | 一般および業界事項 | |
11月30日 | 浜松軽便鉄道、元城~金指間開通 | 当社関連事項 | |
12月20日 | 東京駅開業(東海道本線の起点となる) | 一般および業界事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 新居町駅開設 | 一般および業界事項 | |
4月24日 | 浜松軽便鉄道(株)、浜松鉄道(株)に社名変更 | 当社関連事項 | |
9月20日 | 浜松鉄道、元城~板屋町間開通 | 当社関連事項 | |
12月28日 | 浜松鉄道、金指~気賀間開通 | 当社関連事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 弁天島仮停車場常設駅となる | 一般および業界事項 | |
12月25日 | 浜松鉄道(株)本社所在地、浜松市元城町227-1から同市下池川259-2に移転 | 当社関連事項 | |
- | 浜松鉄道(株)、奥山線(金指~井伊谷~奥山)、伊平線(井伊谷~伊平)、工事延長申請提出 | 当社関連事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月31日 | 浜松鉄道(株)、伊平線問題で紛糾 | 当社関連事項 | |
12月17日 | 浜松鉄道(株)、伊平線廃案とする。奥山線は気賀~井伊谷~奥山に決定 | 当社関連事項 |