※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月12日 | 政府、鉄道建設を決定。政府による鉄道建設は、旧来の封建的地方割拠制を打破し、中央集権的政治体制を確立する重要な政治的手段と認識。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
12月12日 | 井上勝、鉱山頭兼鉄道頭に就任。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 西南戦争により国家財政危機。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月11日 | 日本鉄道に免許下付。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月4日 | 福岡県令、鉄道敷設請願。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
6月17日 | 上申書再提出。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
6月22日 | 伊藤博文の意見書を付し井上勝に照会「福岡県令上申九州鉄道会社ヲ創立シ鉄道民設ノ件ハ許可ニ可及ト存候」 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
6月28日 | 井上長官の答申「己ニ民設許可御内決ノ様ニ見受候。果シテ然ルトキハ、故ニ果シテ民設許可ノ上、今仮リニ九州地方ノ如キ隔絶ノ地ニ此度ハ既ニ可否御内決相成候上、一往御回付相成候事ト相見候」 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
7月6日 | 政府、福岡県に指令書「九州鉄道民設ノ儀ハ発起人等見込相立願出ツル節ハ其筋ニ於テ調査ヲ遂ケ不都合無之ニ於テハ許可スヘシ、但シ利息保証ノ儀ハ願出ツルト雖モ聞届ケサル儀ト心得ヘシ」 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
- | 明治19年以降「鉄道熱」と呼ばれる時代が始まり、全国各地から私設鉄道が請願される。これに対し井上長官は、投機的経営者が多く真の鉄道発展につながらない、と慎重論を唱え私設鉄道への法的規制を訴える。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 九州鉄道発起人総代は「九州鉄道創立願」を福岡、熊本、佐賀3県知事へ提出。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
3月 | 政府、九州鉄道に対し利子補給を決定。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
5月18日 | 「私設鉄道条例」公布。私設鉄道の規格等を定める。この規格統一は日清戦争での軍用輸送に威力を発揮。後の鉄道国有化が支障なく行われたのもこの条件に負うところが大きい。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
5月24日 | 政府は、九州鉄道初代社長に農商務省商務局長高橋新吉を推薦。高橋はアメリカ領事時代に鉄道社会学について報告した経緯をもつ。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
6月29日 | 九州鉄道発起人会は、福岡、熊本、佐賀、長崎4県連合となる。これを政府に報告。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
8月 | 鹿児島の有志、政府に鉄道建設を請願。 | 九州鉄道11 鹿児島駅開業待望の南九州から 官設鉄道の建設 | |
9月21日 | 九州鉄道本社創立事務所を博多に設置。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
12月27日 | 九州鉄道、ドイツ国鉄からヘルマン・ルムシュッテルを顧問技師として招聘。 | 九州鉄道1 ヘルマン・ルムシュッテル私設鉄道への長い道 九州鉄道会社設立 | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 門司~熊本間線路実測完了。 | 九州鉄道2 明治22年12月11日九鉄1号機走る 博多~千歳川仮停車場間開通 | |
3月5日 | 九鉄発起人総代高橋新吉、「工区工費工事期限一覧表」を政府に提出。 | 九州鉄道2 明治22年12月11日九鉄1号機走る 博多~千歳川仮停車場間開通 |