京成電鉄(株)『京成電鉄五十五年史』(1967.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
9月1日 総武・房総・七尾・徳島の4鉄道国有化 交通界のうごき
9月 十勝線狩勝トンネル竣工し釧路・旭州間全通 交通界のうごき
10月1日 関西鉄道・参宮鉄道国有化 交通界のうごき
10月19日 箕面有馬電気軌道設立<京阪神急行の前身> 交通界のうごき
10月 煙草が値上げをした。 社会のうごき
11月1日 国有鉄道運賃統一 交通界のうごき
12月3日 帝国運輸貨物自動車15台による営業開始<貨物自動車事業の最初> 交通界のうごき
- この年鉄道国有化により国鉄の営業路線7156km、地方鉄道軌道の営業路線は718km。年末における警視庁管下の自家用自動車は41台、年額30円の自動車税<府税>創設。 交通界のうごき
- 東株奔騰で成金の続出した1月に続いて百貨店に人気が集まり、勧工場は下火となった。 社会のうごき
- シンガーミシンが月賦販売をはじめ、 社会のうごき
- この年、田山花袋が「蒲団」を二葉亭四迷が「平凡」を書き、第1回文展が開催された。 社会のうごき
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
4月1日 関西線湊町・柏原間にガソリンカー使用開始、大阪商船タコマ線開航 交通界のうごき
5月25日 株式第1回払込金37万5000円(1株12円50銭)徴収 当社のうごき
6月30日 創立総会開催(東京商業会議所)//創立事項報告、創立に関し発起人の採用したる計画承認、創立費用承認、定款承認、取締役監査役報酬決定、取締役監査役選出。取締役に土井貞次・桂二郎・関博直・板橋新・本多貞次郎、監査役に渡辺勘十郎・皆川文明就任。本社を麹町区八重洲町1-1におく 当社のうごき
6月30日 取締役本多貞次郎、専務取締役に就任 当社のうごき
6月 6月には国技館が完成し夏場所開く。 社会のうごき
7月13日 会社設立登記 当社のうごき
8月15日 株券3万株発行交付 当社のうごき
9月8日 山田式第1号飛行船初飛行<国産飛行船のはじめ> 交通界のうごき
10月1日 本社を浅草区材木町駒形河岸80・81号へ移転 当社のうごき
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