※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
10月12日 | 国有鉄道線路の名称を定め称呼を統一 | 交通界のうごき | |
10月26日 | ようやく国情安定と見えたがハルビン駅頭で伊藤博文暗殺さる。 | 社会のうごき | |
11月21日 | 門司・鹿児島間全通、日本自動車合資会社設立<翌年試験的にハイヤー開業> | 交通界のうごき | |
12月16日 | 東京山手線の電車開通<上野・新橋間外廻り> | 交通界のうごき | |
12月24日 | 南海鉄道、浪速電車軌道を合併 | 交通界のうごき | |
12月27日 | 第1期定時株主総会開催(浅草倶楽部) | 当社のうごき | |
12月 | 相原砲兵大尉のグライダー<竹骨複葉>20分余飛ぶ | 交通界のうごき | |
- | この年、警視庁登録自動車台数61両<欧州製43、米国製9、国産9>乗合自動車営業の出願は明治37年以降47件に及んだ。 | 交通界のうごき | |
- | 新聞紙法が公布され第2次桂内面成立、 | 社会のうごき | |
- | 自然主義文学が流行し、田山花袋が「田舎教師」永井荷風が「ふらんす物語」を書き「スバル」が創刊さる。 | 社会のうごき | |
- | また東京市中の常設館70余にふえ活動写真全盛時代来たる。 | 社会のうごき | |
- | 「ハイカラ節」流行。 | 社会のうごき | |
- | 琺瑯びきの弁当箱がお目見得し、タカジアスターゼ、サルバルサンなどが創製された。 | 社会のうごき | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | アメリカから初の大観光団107名来朝 | 交通界のうごき | |
1月 | バレー慧星現われ5月には太陽面を通過、 | 社会のうごき | |
3月10日 | 取締役関博直辞任 | 当社のうごき | |
3月10日 | 箕面有馬電軌宝塚線開通 | 交通界のうごき | |
3月27日 | 東武鉄道伊勢崎線全通 | 交通界のうごき | |
4月12日 | 武蔵電軌、京王電軌と改称 | 交通界のうごき | |
4月15日 | 京阪電鉄、大阪天満橋・京都五条間全通 | 交通界のうごき |