京成電鉄(株)『京成電鉄五十五年史』(1967.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
6月10日 電灯供給事業兼営許可(供給区域 船橋・市川・中山・行徳・二宮・津田沼・松戸) 当社のうごき
6月28日 第2期定時・臨時株主総会開催(浅草倶楽部) 当社のうごき
6月 武蔵電鉄<目蒲電鉄の前身、現東京急行>設立 交通界のうごき
8月3日 軽便鉄道法施行 交通界のうごき
8月29日 韓国併合を宣言。 社会のうごき
9月16日 奈良軌道<10月大阪電軌と改称、現近畿日本鉄道>設立 交通界のうごき
10月 新橋・神戸間に1等寝台車連結、江の島電鉄、藤沢・鎌倉間開通 交通界のうごき
11月21日 愛知電軌鉄道設立 交通界のうごき
12月17日 東京・下関間広軌改築案可決 交通界のうごき
12月25日 本社を京橋区南鍋町1-8へ移転 当社のうごき
12月27日 第3期定時株主総会開催(築地同人会) 当社のうごき
12月 代々木練兵場で日野・徳川両大尉飛行機試乗公開 交通界のうごき
- 同じころ日本では立憲国民党が結成され、6月には幸徳秋水らの大逆事件起こる。 社会のうごき
- いっぽう啄木が「一握の砂」をあらわし、夏目漱石が「門」を書き、イプセンの「人形の家」が訳され「白樺」が創刊され、竹下夢二画集がもてはやされた。 社会のうごき
- 「真白き富士の嶺」が全国で愛唱され、丸の内ではホタル狩りがたのしまれた。 社会のうごき
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
1月 阪神電鉄、北大阪電軌を合併 交通界のうごき
1月 東京・大阪に特高警察が設けられ、大逆事件に24名の死刑が確定したが、その反動で片山潜が社会党を結党、東京市電ストに入る。 社会のうごき
2月16日 17社の私鉄、軽便鉄道に指定さる 交通界のうごき
3月1日 宝城(墓地移転)事業譲受 当社のうごき
3月17日 臨時株主総会開催(東京地学協会)//定款変更、取締役会長に井上敬次郎、取締役に森久保善太郎・北岡鶴松・利光鶴松・上原鹿造・安東敏之・梅原亀七、監査役に平沼専蔵・乙訓寛吉・藤江章夫・安藤保太郎就任、取締役板橋新・桂二郎、監査役渡辺勘十郎・皆川文明辞任 当社のうごき
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