※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 南海鉄道全線電化、伊勢鉄道設立 | 交通界のうごき | |
12月9日 | 第1期線工事開始 | 当社のうごき | |
12月27日 | 第5期定時・臨時株主総会開催(帝国鉄道協会)//取締役に横田千之助、監査役に渡辺亨就任 | 当社のうごき | |
12月31日 | 東京市電スト、大晦日の電車動かず | 交通界のうごき | |
- | この年、日産自動車の前身、快進社創立。米フォードは量産開始。東京市内の自動車数は131両に達した。 | 交通界のうごき | |
- | 東京京橋に初のカフェ・プランタンが開店した。 | 社会のうごき | |
- | 不景気が慢性化、職業紹介所が3ヵ所店開きした。 | 社会のうごき | |
- | 森鴎外「雁」徳田秋声「徴」を書く。 | 社会のうごき | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 元旦に中華民国成立、 | 社会のうごき | |
1月28日 | 監査役乙訓寛吉死去 | 当社のうごき | |
1月 | 中野・万世橋間に婦人専用車走る | 交通界のうごき | |
3月1日 | 山陰本線全通 | 交通界のうごき | |
3月12日 | ジャパン・ツーリスト・ビューロー創立 | 交通界のうごき | |
3月20日 | 電灯部一切の財産に工場抵当法により工場財団設定 | 当社のうごき | |
3月20日 | 臨時株主総会開催(有楽町本社) | 当社のうごき | |
3月20日 | 東武鉄道、佐野鉄道を買収 | 交通界のうごき | |
3月30日 | 信濃鉄道設立 | 交通界のうごき | |
3月 | 米価暴騰し1升25銭2厘、この生活苦の助け神として西洋の福の神ビリケン流行。 | 社会のうごき | |
4月26日 | 富士身延鉄道設立 | 交通界のうごき | |
4月27日 | 帝釈人車軌道(株)財産及び営業設備譲受並びに営業承継に関する契約締結 | 当社のうごき |