京阪電気鉄道(株)『鉄路五十年』(1960.12)

"青木精太郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
昭和24年(1949) 11月25日 (1)京阪電気鉄道株式会社(新設)は大阪市北区角田町41番地京阪神急行電鉄株式会社事務所で創立総会を開催、つぎの事項を決定//創立資本金3億3千万円//本店の所在地大阪府枚方市大字岡173番地の1//取締役村岡四郎・今田英作・岡林事・川崎一雄・別所安次郎・岩切正・青木精太郎・黒川寛一・宮地茂秋、監査役石川芳次郎・田島順・米村又男//第1回取締役会で取締役社長に村岡四郎、専務取締役に今田英作、常務取締役に岡林事・川崎一雄・別所安次郎が各就任(2)字治線御陵前駅を「桃山南口」、京津線三条大橋駅を「三条」、古川町駅を「東山三条」と各改称(3)京津線三条駅を京阪線三条駅に統合 社内事項
昭和25年(1950) 5月22日 職制を改正 技師長を設置(技師長取締役青木精太郎) 社内事項
昭和26年(1951) 5月29日 常務取締役に青木精太郎就任 社内事項
昭和30年(1955) 5月16日 香里開発輸送対策委員会規定を制定 委員長常務取締役青木精太郎(5月10日に遡及施行昭和31年6月15日廃止) 社内事項
昭和31年(1956) 2月18日 (1)石山坂本線石山寺・唐橋前間に自動閉塞信号機1基を増設(2)取締役社長村岡四郎・常務取締役青木精太郎は欧米の交通・観光事業視察のため羽田空港を出発(5月2日帰国) 社内事項
PAGE TOP