京浜急行電鉄(株)『京浜急行100年の歩み : 1898-1998』(1998.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
2月25日 大師電気鉄道株式会社創立
2月25日 立川勇次郎が専務取締役(代表)に就任
2月25日 本社を東京市京橋区南鍋町1丁目5番地に置く
9月 発電所が六郷川河畔、久根崎に竣工
12月18日 東京・上野公園で西郷隆盛像(高村光雲作)の除幕式 [一般事項]
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
1月21日 六郷橋~大師間開通(約2km)
2月8日 本社を川崎町久根崎19番地に移転
4月25日 社名を京浜電気鉄道株式会社に変更
11月29日 六郷橋~大師間で複線運転開始
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月10日 大和田建物作詞の「地理教育鉄道唱歌」東海道編発行〈汽笛一声新橋を...〉 [一般事項]
7月19日 六郷道路橋を六郷架橋組合より買い取る
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
2月1日 品川延長線、六郷橋~大森停車場前(現、JR大森駅前)間開通
8月24日 電灯電力供給事業開始
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
6月28日 羽田支線、蒲田~穴守間開通
9月1日 六郷橋~川崎(現、京急川崎)間開通
10月17日 京浜電気鉄道開業式を川崎大師(平間寺)境内で挙行
10月17日 『京浜電気鉄道沿革』を発行
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
8月22日 東京電車鉄道が品川~新橋間で市街電車開通(3銭) [一般事項]
12月5日 岩田作兵衛が専務取締役(代表)に就任
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 日露戦争始まる [一般事項]
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