※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月21日 | 小学校令を改正、義務教育年限が6年となる | (欄外) | |
4月17日 | 本社を川崎町久根崎19番地から川崎町堀之内831番地に移転 | 事項 | |
4月 | 内山駒之助がガソリン自動車第1号を製作 | (欄外) | |
7月17日 | 第3回増資255万円、資本金が510万円となる | 事項 | |
10月24日 | 栗生武右衛門が取締役社長に就任(雨宮敬次郎と交代) | 事項 | |
10月24日 | 京浜電気鉄道が川崎大師に隣接する約1万坪を大師公園として造園する | 事項 | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月19日 | 北品川~青山間の線路延長特許を得る | 事項 | |
6月19日 | 京浜広告社と広告請負契約を締結し、鉄道広告営業を開始 | 事項 | |
12月5日 | 鉄道院の官制を公布(初代総裁後藤新平) | (欄外) | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
3月24日 | 六郷川鉄橋建設工事に着手 | 事項 | |
3月 | 羽田運動場を開設 | 事項 | |
5月15日 | 三浦泰輔が取締役社長に就任(栗生武右衛門と交代) | 事項 | |
5月31日 | 国技館が両国に完成 | (欄外) | |
5月31日 | 浅間山が大噴火 | (欄外) | |
7月 | 大森八幡海水浴場(初の海の家)を開設 | 事項 | |
10月1日 | 横浜電気鉄道(後、横浜市電)との連絡運輸を開始 | 事項 | |
10月16日 | 横浜鉄道(現、JR横浜線)との汽車電車連絡切符発売の契約を締結 | 事項 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 『京浜遊覧案内』を発行 | 事項 | |
3月31日 | 蒲田~穴守(初代)間の複線化工事が竣工 | 事項 | |
5月19日 | ハレー彗星が地球に大接近 | (欄外) |