東京地下鉄道(株)『東京地下鉄道史. 乾』(1934.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
6月 奥田義人男東京市長となる。
7月 井上友一氏東京府知事に任ぜらる。
8月 大隈内閣改造。
9月 早川氏欧洲大陸に渡り地下鉄道を研究す。
9月 添田寿一氏鉄道院総裁となる。
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
9月 早川氏地下鉄道敷設の抱負を懐きて欧米より帰朝す。
9月 早川氏東京市に地下鉄道敷設の計画を樹てその調査を開始す。
10月 寺内内閣成立、内務大臣後藤新平伯、鉄道院総裁を兼任す。副総裁に中村是公氏任ぜらる。
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
1月 早川徳次氏国府津に高田早苗博士を訪ひ渋沢子爵に紹介を依頼し、帰途大隈重信侯爵を訪ふ。
1月 早川徳次氏坂本三郎氏を訪ひ渋沢子爵訪問に同行を約す。
1月 早川、坂本両氏渋沢子爵を訪問、子爵より援助の約を得。
1月 早川氏奥田市長と会見、その賛同を得。
1月 早川氏中野武営氏と会見創立委員長物色の約を得。
1月 志村源太郎氏豊川良平氏を委員長に推し交渉す。
1月 早川氏地下鉄計画に関し野沢源次郎氏、武井守正男と会見。
5月 東京市内外交通調査会組織さる。
7月18日 早川氏外六名東京軽便地下鉄道敷設免許申請書提出。
8月 奥田市長逝去。
10月19日 東京府知事、東京軽便地下鉄道免許申請につき、東京市会に諮問す。
10月 早川氏地下鉄計画に関し市会議員の諒解運動に努む。
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