※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 加藤友三郎内閣成立す。大木遠吉伯鉄道大臣に任ぜらる。 | ||
6月 | 重役協議の結果、東京市に資本の半額を持株せしむることの交渉を阪谷相談役に託す。 | ||
9月 | 東京地下鉄道速成委員会組織さる。 | ||
9月 | 阪谷相談役、長尾市電気局長と東京市の地下鉄道株持株問題につき懇談す。古市社長、早川常務、阪谷相談役、麻布桜田町の私邸に後藤市長を訪ひ、正式に市営及持株の交渉を行ふ。 | ||
11月2日 | 東京地下鉄道会社、東京駅前廻り支線敷設免許を出願す。 | ||
11月 | 東京市電虎の門一つ橋間地下電車計画を発表す。 | ||
11月 | 安倍建設課長、プレシデント・ウイルソン号にて横浜入港帰朝す。 | ||
11月 | 工業倶楽部に重役会開催、大体ホール氏より一千万弗借入の方針に決す。 | ||
12月 | 華族会館に大木鉄相、水野内相を招待し、古市社長、早川常務阪谷、野村両相談役等懇談す。 | ||
12月 | 重役会ホール氏への交渉当分自重に決す。 | ||
12月 | 古市社長阪谷相談役市来蔵相を大蔵省に訪ひ、地下鉄事業の諒解を求む。 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 相談役阪谷男、フレーザー氏と外資借入につき下相談を行ふ。 | ||
1月 | 古市社長、早川常務、阪谷相談役三氏フレーザー氏と外資交渉につき正式会見を行ふ。 | ||
1月 | 重役会フレーザー氏電文案可決 | ||
2月 | 米国フアウンデーション会社投資希望あり。 | ||
3月 | 東京市、一ツ橋東京駅前虎の門間地下電車計画免許出願す。 | ||
4月 | 後藤市長辞職す。 | ||
5月2日 | 東京市參事会東京地下鉄道の丸の内支線承認の答申を議決。 | ||
5月31日 | 上野新橋間工事施工認可さる。 | ||
5月 | フレーザー氏欧米資本家を説得、外資交渉を成立させるため横浜出帆帰米の途につく。 |