東京横浜電鉄(株)『東京横浜電鉄沿革史』(1943.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
2月8日 (玉川電気鉄道株式会社) 玉川砂利鉄道株式会社名の下に特許状下附せらる。
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
4月16日 (玉川電気鉄道株式会社) 会社創立。資本金四拾万円。渡辺熊之進氏代表取締役に就任。
12月12日 (玉川電気鉄道株式会社) 電気鉄道事業経営の許可を得。
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
10月25日 (玉川電気鉄道株式会社) 火力発電用汽缶汽機設置の許可を得。
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
6月25日 (玉川電気鉄道株式会社) 子爵青山幸宜氏取締役に就任。
8月15日 (玉川電気鉄道株式会社) 代表取締役渡辺熊之進氏引退。青山幸宜氏代る。
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
10月9日 (玉川電気鉄道株式会社) 永松達吾氏代表取締役に就任。資本金を六拾万円に増加。
11月10日 (武蔵電気鉄道株式会社) 電気鉄道会社の発起認可出願。発起人岡田治衛武、山根舜太郎、阿部太一郎、樋口鉦次郎、村田佐輔の五氏。
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・創立委員長(後に取締役会長)。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
3月6日 (玉川電気鉄道株式会社) 営業開始。(道玄坂上-三軒茶屋間)。
4月1日 (玉川電気鉄道株式会社) 三軒茶屋-玉川間開通。
6月29日 (玉川電気鉄道株式会社) 世田谷、駒沢両村へ電灯供給の許可を得。
8月11日 (玉川電気鉄道株式会社) 渋谷-道玄坂上間開通。
12月6日 (武蔵電気鉄道株式会社) 共願者東海電気鉄道株式会社との妥協成立。
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸実業家一行招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
5月8日 (武蔵電気鉄道株式会社) 仮免許状下附せらる。
5月14日 (玉川電気鉄道株式会社) 電灯営業開始。
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
3月11日 (玉川電気鉄道株式会社) 永松達吾氏代表取締役辞任。津田興二氏就任。
10月13日 (武蔵電気鉄道株式会社) 発起人会開催。創立委員長に岡田治衛武氏。委員に根津嘉一郎氏外八名当選。
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
5月24日 (玉川電気鉄道株式会社) 目黒、渋谷両村へ電灯供給の許可を得。
5月31日 (武蔵電気鉄道株式会社) 第一回株式払込(一株に付金五円宛)完了。
6月22日 (武蔵電気鉄道株式会社) 会社創立、創立資本金参百五拾万円。取締役社長、岡田治衛武、取締役、根津嘉一郎、岩下清周、小野金六、賀田金三郎、村井真雄、新海栄太郎、監査役、伯爵広沢金次郎、佐竹作太郎、男爵有地品之允、改野耕三の諸氏就任。
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