東京横浜電鉄(株)『東京横浜電鉄沿革史』(1943.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和15年(1940) - 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 渋沢関係略年譜
12月11日 (目蒲旧東横両社合併後)東横砂利運送株式会社創立。
12月23日 (目蒲旧東横両社合併後)横浜市街自動車株式会社を東横タクシー株式会社と改称。
12月28日 (目蒲旧東横両社合併後)昭和興業有限会社を買収。
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
2月22日 (目蒲旧東横両社合併後)五島社長、商工会議所一級議員に当選。
3月2日 (目蒲旧東横両社合併後)右[五島社長]副会頭に当選。
3月10日 (目蒲旧東横両社合併後)静岡電気鉄道株式会社を買収。
6月30日 (目蒲旧東横両社合併後)相模鉄道株式会社を買収。
7月15日 (目蒲旧東横両社合併後)内務大臣指令に依り当社所属旅客自動車運輸事業中、山手線以東の事業を東京市に譲渡。
8月1日 (目蒲旧東横両社合併後)厚木共進運逡自動車株式会社を買収。
8月8日 (目蒲旧東横両社合併後)相武土地建物株式会社、相鉄運輸株式会社を買収。
9月1日 (目蒲旧東横両社合併後)東京高速鉄道株式会社、東京地下鉄道株式会社は帝都交通営団に合併。
9月2日 (目蒲旧東横両社合併後)五島慶太氏小田急電鉄社長に就任。
9月5日 (目蒲旧東横両社合併後)藤沢運輸株式会社を買収。
11月1日 京浜、湘南両電鉄会社合併。五島慶太氏取締役社長に就任。
12月8日 米英に対し宣戦の大詔煥発せらる。
12月26日 (目蒲旧東横両社合併後)小林清雄、立花栄吉、鈴木幸七、三宮四郎、尾川武夫の五氏取締役に就任。
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
1月13日 (目蒲旧東横両社合併後)配電統制令に基き、開東配電株式会社へ電気供給事業設備出資決定。
2月1日 (目蒲旧東横両社合併後)市、社の協定書に基き山手線以東の自動車事業及附隨せる人員の引継を完了。
2月7日 (目蒲旧東横両社合併後)京浜電気鉄道株式会社、小田原急行電機株式会社の合併契約成立。
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