※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月13日 | 工部省庁舎皇居内から東京木挽町5丁目元外務省跡に移転、鉄道掛も築地から同庁舎に移る | 主要事項 | |
12月 | 工部省官員は制服または略制服を着用し諸工場・製作所に出張するよう定める | 主要事項 | |
12月 | 小田原藩内の石山を工部省の管轄としその産出石材を鉄道工事に充当 | 主要事項 | |
12月 | 鉄道掛、就業中の諸職人・人夫に対する死傷手当支給内規の制定を工部省に要請 | 主要事項 | |
- | 京都府権大参事槙村正直、敦賀または小浜などから京都に達する鉄道建設を建言 | 主要事項 | |
- | 租税権正前島密、「鉄道臆測」と題する鉄道建設と営業収支の見積書を政府に提出 | 主要事項 | |
- | 建築師長エドモンド・モレル、参議大隈重信にあて明治3年の鉄道工事に関して報告(“Japanese Imperial Goverment Railways Yearly Report for 1870”雇外国人による最初の鉄道事業の報告) | 主要事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 兵部省、海軍所と協定のうえ、品川7番砲台場の一部を取りこわし、その石材を鉄道工事に使用 | 主要事項 | |
2月24日 | 横浜停車場本屋工事に着手 | 主要事項 | |
2月 | 新橋・横浜間鶴見川橋梁着工(同年9月完成) | 主要事項 | |
2月 | 高島嘉右衛門、横浜停車場地先の海面3万坪埋立を竣成し、鉄道敷地と国道を献納(高島町と命名) | 主要事項 | |
3月9日 | 太政官、京都・敦賀間の測量着工を工部省へ通達 | 主要事項 | |
3月 | 准十等出仕小野友五郎、十四等出仕山下省三ら中山道を調査 | 主要事項 | |
3月 | 横浜停車場地先の海面3万坪を埋め立て、鉄道用地に充てることに決定 | 主要事項 | |
4月4日 | 太政官、京都・大阪間の測量着手を指令 | 主要事項 | |
4月18日 | 政府、工部省雇外国人の公務旅行に護衛を各府藩県に通達(明治6年6月この取扱廃止を布告) | 主要事項 | |
5月9日 | 京都府権大参事槙村正直、三井八郎右衛門ほか11人に対し、大阪・敦賀間の鉄道建設資金調達のための勧奨を行なう(同月11日三井ら勧奨受諾の旨京都府に回答、共立社の名称で準備に着手) | 主要事項 | |
5月22日 | 横浜機関車庫着工(同年8月8日完成 長方形、機関車庫前面に転車台を設置) | 主要事項 | |
5月 | 大阪・神戸間住吉川トンネル着工(6年8月完成、全長165フィート〔50.2m〕) | 主要事項 | |
5月 | 大阪・神戸間芦屋川トンネル着工(7年3月完成複線形、全長365フィート〔111.3m〕) | 主要事項 |