※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文政8年(1825) | 9月27日 | イギリスのストックトン・ダーリントン間で 世界最初の鉄道開通 | |
嘉永7年(1854) | 2月23日 | アメリカ使節ペリー持参の蒸気車模型を横浜村海岸応接所裏で運転 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月10日 | 東西両京を結ぶ幹線鉄道と 東京・横浜間 京都・神戸間 琵琶湖畔・敦賀間の鉄道敷設を決定 | ||
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月25日 | 日建築師長エドモンド・モレルら芝汐留付近の測量に着手 | ||
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 鉄道略則公布 | ||
5月4日 | 鉄道犯罪罰例公布 | ||
5月7日 | 品川・横浜間仮開業(1日2往復運転) | ||
6月20日 | イギリス人ブラックに駅構内における新聞の販売許可 | ||
9月12日 | 新橋・横浜間開通 明治天皇横浜・新橋両駅に臨御され開業式挙行 13日から9往復の旅客列車運転 | ||
11月9日 | 太陽暦を採用 明治5年12月3日が明治6年1月1日 | ||
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | 新橋・横浜間貨物営業開始 | ||
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月11日 | 大阪・神戸間仮開業 | ||
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 神戸工場で国産材料により客貨車を製作(車輪・車軸を除く) | ||
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月5日 | 京都・神戸間開業式挙行 | ||
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | 日本人(火夫3人)旅客列車機関方誕生(日本人機関士のはじめ) | ||
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | 大谷・大津間の逢坂山トンネル完成 | ||
11月28日 | 幌内鉄道手宮・札幌間開通 | ||
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 釜石鉄道営業開始 | ||
3月16日 | 新橋・横浜間列車回数を14往復とし 11往復を普通運転(55分運転)3往復を快速運転(うち2往復が45分 1往復が51分運転) | ||
5月1日 | 大津・長浜間を太湖気船により連絡 |