※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 清水トンネル工事完成し上越線全通 | ||
10月1日 | 秋葉原駅高架線下を利用し倉庫営業を開始 | ||
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | 鉄道省に陸運統制委員会設置 | ||
7月1日 | 秋葉原高架駅にエスカレーターをはじめて設備 | ||
12月6日 | 日豊本線小倉・都城・鹿児島間全通 | ||
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | 東京・中野間に急行電車の運転を開始 | ||
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月8日 | キハ40000形ガソリン動車使用開始 | ||
12月1日 | 丹那トンネル完成、熱海線を東海道本線に編入、国府津・御殿場・沼津間を御殿場線と改称 | ||
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月19日 | 特急「燕」食堂車にはじめて冷房装置を設備 | ||
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月5日 | 小運送業法および日本通運株式会社法公布施行 | ||
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
3月23日 | 臨時軍事費の財源に充てるため特別会計よりの繰入金に関する法律公布 | ||
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月12日 | 鉄道幹線調査会官制を公布 | ||
昭和15年(1940) | - | 【竜門社】第100回会員総会並に記念展観を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 陸運統制令公布(2月25日施行) | ||
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月16日 | 3等寝台車を廃止、食堂車の連結を削減 | ||
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月11日 | 下関・門司間海底トンネル工事完成下り線開通 | ||
10月11日 | 24時間制を実施 | ||
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 全国旅客列車運転の大削減 | ||
7月20日 | 車両工場の国家管理閣議決定 | ||
8月27日 | 鉄道防衛総本部を設置 | ||
10月1日 | 列車時刻改正(特急「つばめ」運転廃止) |