※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 疎開輸送本部・支部・事務所設置 | ||
4月1日 | 決戦非常措置要綱に基づき1等車・寝台車・食堂車を全廃、急行列車を縮減 | ||
5月10日 | 名鉄局管内に女子車掌登場 | ||
- | モハ63系電車落成 | ||
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月20日 | 急行列車東京・下関間第1・2列車のほか全廃 | ||
9月1日 | 運輸省渉外室(R・T・O)設置 | ||
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
2月27日 | 国鉄労働組合総連合会を結成 | ||
4月9日 | 旅客交通秩序の維持のため旅客巡察員をおく | ||
7月1日 | 東京・門司間、上野・青森間の急行列車で弁当、パン等の車内販売復活 | ||
11月10日 | 石炭事情悪化のため旅客列車運転キロ16%削減 | ||
昭和22年(1947) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 上越線高崎・水上間電化開通 | ||
10月1日 | 上越線長岡・石打間電化開通 | ||
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月20日 | 沼津・浜松間電化開通 | ||
6月1日 | 公共企業体「日本国有鉄道」発足 | ||
7月6日 | 下山事件 | ||
7月15日 | 三鷹事件 | ||
7月20日 | 定員法による9万4312人の縮減完了 | ||
8月17日 | 松川事件 | ||
9月15日 | 列車食堂を再開 | ||
9月 | 東京・大阪間に特急「へいわ」号運転開始 |