※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月15日 | 新橋・横浜間貨物営業を開始 | ||
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月11日 | 大阪・神戸間の運輸営業開始 | ||
8月 | 大阪・神戸間で上・中等往復乗車券を発売 | ||
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 神戸工場で客車・貨車を製作、走行部品はイギリスから輸入(車両製作の最初) | ||
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月5日 | 大阪・京都(大宮通仮駅)間開通、はじめて鍛鉄製平底レールを採用 | ||
12月1日 | 新橋・品川間の複線化完成 | ||
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | 鉄道寮廃止され、工部省に鉄道局設置 | ||
2月14日 | 西南戦争の兵員等輸送開始 | ||
11月26日 | 六郷川鉄橋完成 | ||
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月21日 | 京都・大津間着工(邦人工事を担当) | ||
10月1日 | 割引往復乗車券(新橋・横浜間)発売 | ||
12月 | 新橋・横浜間の各停車場で公衆電報取扱開始 | ||
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | 新橋鉄道局ではじめて日本人機関方を登用 | ||
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | 逢坂山トンネル工事完成 | ||
7月15日 | 京都・大津間運輸営業を開始 | ||
11月28日 | 幌内鉄道手宮・札幌間運輸営業開始 | ||
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月7日 | 新橋・横浜間の複線化完成 | ||
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 大津・長浜間旅客貨物の太湖汽船による船車連絡開始(東海道線全通まで) | ||
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 長浜・関ケ原間開業 | ||
7月28日 | 日本鉄道上野・熊谷間開業 |