※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
11月21日 | 翌年試験的に貸自動車業(ハイヤー)開始 | 業界 | |
12月16日 | 山手線全通 | 一般社会 | |
12月 | 年末の警視庁登録自動車数六一両(欧州製四三両、米国製九両、国産車九両) | 業界 | |
- | 逓信省は従来の郵便逓送用馬車を廃し、自動車を使用 | 業界 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月22日 | 韓国を日本に併合、朝鮮と改称 | 一般社会 | |
- | わが国初の運転手養成所創立(麹町区有楽町三―三、吉田商店内、自動車運転手修技所) | 業界 | |
- | この頃の主な自動車輸入販売会社は日本自動車、セールフレーザー商会、三井物産、大倉組 | 業界 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月1日 | 東京市内の自動車数一三一両(自家用乗用一一四、自家用貨物四、営業用一三) | 業界 | |
- | 快進社設立(橋本増次郎)翌45年DAT号自動車を完成 | 業界 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月25日 | 大阪で鉄道院バス開業 | 業界 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | 明治天皇崩御、大正と改元 | 一般社会 | |
8月5日 | タクシー自働車株式会社設立。(44・12・16警視庁許可、8・15からフォード六両をもって営業開始) | 業界 | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪でハイヤー営業開始 | 業界 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 皇室で初めて自動車を使用(宮内庁調度寮自動車部設置) | 業界 | |
4月 | 京王電気軌道(株)が笹塚-調布間に電車運転開始。これに伴い、軌道未完成の調布-府中間及び新宿-笹塚間を自動車により連絡す(東京における初の乗合自動車)大4・2廃止 | 業界 | |
7月12日 | 東京自動車業組合(販売業者と運輸業者を含む)設立認可(大10・1・18解散) | 業界 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | 第一次世界大戦勃発(大、5・11・12休戦) | 一般社会 | |
12月18日 | 東京駅新築落成、東京横浜間に電車開通式行なわる | 一般社会 | |
12月20日 | 東京駅開業、呉服橋駅を廃止、烏森駅を新橋駅と、新橋駅を汐留駅とそれぞれ改称 | 一般社会 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 梁瀬商会創立(三井物産機械部の組譜変更により)同年貸ガレージ業開業 | 業界 |