日本交通(株)『社史』(1961.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
11月6日 大正天皇即位大礼 一般社会
- 大戦の影響で欧州車輸入減少、米国車大量輸入の機会招来 業界
- 大戦景気により高級ハイヤー繁栄 業界
- 東京市のタクシー台数九四台 業界
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- ウィンドワイパー、ストップライト、バックミラー等発明、自動車の箱型が次第に普及 業界
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
9月12日 金輸出禁止 一般社会
- 大阪でタクシー営業開始 業界
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 警視庁赤バイ創設(初めて交通取締の専務員を設け六台のオートバイで取締りに当たる) 業界
8月2日 シベリヤ出兵宣言 一般社会
8月3日 富山に米騒動おこり、全国に波及 一般社会
11月11日 世界大戦終わる。連合国とドイツとの休戦条約調印(大5・11・12休戦布告) 一般社会
- この頃より漸次フォード、シボレー等の米国大衆車輸入さる。 業界
- 大戦終結による国内景気変動により高級ハイヤーは衰退し、実用的なタクシーが勃興 業界
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
1月11日 内務省令自動車取締規則公布(2・15施行)各府県の取締規則廃止 業界
1月18日 パリ講和条約調印 一般社会
2月11日 警視庁自動車取締令施行細則制定 業界
3月1日 東京市街自動車(株)、上野―新橋間五・六粁の営業開始 業界
3月1日 山手線の電車、循環運転開始 一般社会
9月 最初の手動式交通信号機設置 業界
- 自動車の月賦販売開始 業界
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