※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 大日本帝国憲法発布 | 一般情勢 | |
7月1日 | 東海道線、新橋・神戸間全通 | 交通運輸関係 | |
11月29日 | 小倉八三郎生れる(東京市京橋区元数寄屋町2丁目4番地) | 当社関係 | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 小倉八三郎京橋鍋町小学校入学 | 当社関係 | |
9月1日 | 新橋・神戸間にはじめて急行旅客列車運転 | 交通運輸関係 | |
9月18日 | 第2次松方正義内閣成立 | 一般情勢 | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 小倉八三郎父善兵衛死去 | 当社関係 | |
4月 | 小倉八三郎泰明小学校に転校 | 当社関係 | |
11月 | オリエント号蒸気自動車初めて輸入さる | 交通運輸関係 | |
12月28日 | 第2次松方正義内閣総辞職 | 一般情勢 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 小倉八三郎泰明小学校高等科へ進級 | 当社関係 | |
5月 | 東京銀座明治屋洋酒店は英国製アーガイル号貨物自動車を輸入す | 交通運輸関係 | |
10月19日 | 第4次伊藤博文内閣成立 | 一般情勢 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月24日 | 警察令「自転車取締規則」制定 | 交通運輸関係 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟協約調印(2月12日公示) | 一般情勢 | |
3月 | 小倉八三郎泰明小学校高等科2年を卒業 | 当社関係 | |
4月 | 小倉八三郎大手町の商工中学校に入学 | 当社関係 | |
7月6日 | 笹子トンネル開通 | 交通運輸関係 | |
8月1日 | 不作のため期米相場高騰 | 一般情勢 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月27日 | 専門学校令公布 | 一般情勢 |