※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 小倉八三郎上田炭店を去って近くの下宿に移り毎夕新聞の配達、通信社勤務等により苦学生活を続ける(約1年間) | 当社関係 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 小倉八三郎幡ケ谷の阪川牛乳の牧場に研究生として就職する | 当社関係 | |
10月26日 | 枢密院議長伊藤博文ハルビン駅頭で韓国人安重根に暗殺される | 一般情勢 | |
11月21日 | 門司・鹿児島間鉄道全通 | 交通運輸関係 | |
12月16日 | 東京山手線電車品川・田端間、池袋・赤羽間開通 | 交通運輸関係 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月22日 | 韓国併合に関する条約調印 | 一般情勢 | |
12月14日 | 陸軍大尉日野熊蔵、代々木練兵場で初めて試験飛行に成功 | 交通運輸関係 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 小倉八三郎阪川牛乳の牧場を退職し横浜市の合資会社横浜真田工場に事務員として就職する(後に工場総監督に抜擢さる) | 当社関係 | |
4月9日 | 東京浅草新吉原から出火、6550余戸焼失 | 一般情勢 | |
5月4日 | 大阪砲兵工廠軍用自動車(2屯)を試運転 | 交通運輸関係 | |
7月 | 東京市内における自動車数は128両に達す | 交通運輸関係 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月20日 | 山本権兵衛内閣成立 | 一般情勢 | |
2月 | 小倉八三郎合資会社横浜真田工場を退職 | 当社関係 | |
3月28日 | 所沢で陸軍飛行機墜落(木村、徳田両中尉死亡) | 交通運輸関係 | |
3月 | 小倉八三郎酒屋角松の店員となる | 当社関係 | |
4月23日 | 帝国飛行協会成立 | 交通運輸関係 | |
5月2日 | 米国カリフォルニア州議会上院で排日土地法案可決 | 一般情勢 | |
5月25日 | 小倉八三郎独立して挽き八百屋を始める | 当社関係 | |
6月29日 | 第2次バルカン戦争おこる | 一般情勢 | |
8月 | 東海道本線複線工事完成 | 交通運輸関係 |