川崎汽船(株)『Kライン物語 : 川崎汽船75年史』(1994.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
2月 川崎造船所、汽船会社の資本金を二〇〇〇万円、出資船舶を一一隻約一〇万一〇〇D/Wと決定 当社事項
4月 川崎造船所において創立総会を開催 当社事項
4月 営業開始 当社事項
4月 設立登記完了、社名を川崎汽船株式会社とし、本社を神戸市海岸通八番地に置く 当社事項
4月 国際汽船設立に参加決定 当社事項
6月 ベルサイユ講和条約調印 一般事項
9月 川崎造船所で労働争議起こる(わが国最初のサボタージュ) 一般事項
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月 松方幸次郎専務取締役社長に就任 当社事項
3月 株式暴落、戦後恐慌起こる 一般事項
9月 日本船主同盟会を改組し、社団法人日本船主協会を設立 一般事項
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
5月 川崎造船所・国際汽船と提携してKライン結成 当社事項
9月 神戸海運集会所設立(日本海運集会所の前身) 一般事項
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
1月 欧州/日本航路開設 当社事項
1月 北米東岸・ガルフ/日本航路開設 当社事項
2月 ワシントン会議で海軍軍備制限条約調印、日本海軍八・八艦隊案を廃止 一般事項
5月 イタリア/ニューヨーク航路開設 当社事項
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
3月 Kライン三社は運賃・積み荷・用船について合同計算を実施 当社事項
9月 関東大震災起こる 一般事項
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
1月 ニューヨーク/ハンブルク航路開設 当社事項
3月 川崎ルーズベルト西回り世界一周航路開設 当社事項
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