※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | ※米艦四隻浦賀に来航 | 社外関係事項 | |
9月 | ※大船製造の禁令を解除 | 社外関係事項 | |
安政元年(1854) | - | ※この年日の丸をもって商船旗と定む | 社外関係事項 |
安政5年(1858) | - | 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | ※日英、日米、日仏、日露、日蘭修好通商条約調印(~12月) | 社外関係事項 | |
文久2年(1862) | - | ※この年外国渡航の禁令を解除 | 社外関係事項 |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ※この年太平洋郵船会社(米国)桑港香港航路を開始 | 社外関係事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | ※太政官に内国事務局を置き、水陸運輸、駅路、港口等に関する事務を管掌、後会計官に移し駅逓司の管掌となる | 社外関係事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | ※明治と改元 | 社外関係事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月7日 | ※西洋型船の製造、購入を保護勧奨 | 社外関係事項 | |
11月17日 | ※スエズ運河開通 | 社外関係事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月27日 | ※商船規則制定、西洋型船舶の所有者保護を示達 | 社外関係事項 | |
1月 | ※廻漕会社設立、東京大阪間の定期航路開始 | 社外関係事項 | |
10月9日 | ※岩崎弥太郎土佐開成商社次いで九十九《つくも》商会の名義をもって西長堀商会の事業を継承、東京大阪高知間の航路を開く | 社外関係事項 | |
- | ※この年太平洋郵船会社横浜、神戸、長崎、上海間の定期航路を開く | 社外関係事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ※廻漕取扱所を設立し廻漕会社の業務を継承 | 社外関係事項 | |
7月14日 | ※廃藩置県を断行、諸藩の所有船を国有となし駅逓司の管轄とす | 社外関係事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ※九十九商会を三川《みつかわ》商会と改称 | 社外関係事項 | |
8月 | ※廻漕取扱所を解散して日本国郵便蒸汽船会社設立 | 社外関係事項 | |
11月9日 | ※太陰暦を廃し太陽暦を採用、この年十二月三日を明治六年一月一日とす | 社外関係事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | ※三川商会を三菱商会と改称 | 社外関係事項 |