※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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嘉永6年(1853) | - | 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 米艦4隻浦賀に来航 | 業界・一般事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米PM社、サンフランシスコ・香港航路開設 | 業界・一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | スエズ運河開通 | 業界・一般事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 回漕会社設立、東京・大阪定期航路開設 | 業界・一般事項 | |
10月 | 土佐藩は九十九商会を設立、土佐開成館大阪商会の事業を継承、東京・大阪・高知間の航路開設 | 前史 | |
- | PM社、横浜・神戸・長崎・上海定期航路開設 | 業界・一般事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 回漕取扱所設立、回漕会社の業務継承 | 業界・一般事項 | |
9月 | 岩崎弥太郎、九十九商会を継承 | 前史 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 九十九商会を三川商会と改称 | 前史 | |
8月 | 回漕取扱所解散、日本国郵便蒸気船会社設立 | 業界・一般事項 | |
9月 | 新橋・横浜間鉄道開通 | 業界・一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 三川商会を三菱商会と改称 | 前史 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 三菱商会本店を東京に移転、後に三菱蒸気船会社と改称 | 前史 | |
4月 | 征台の役勃発 | 業界・一般事項 | |
7月 | 征台の役で三菱蒸気船会社、軍事輸送に従事 | 前史 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 三菱蒸気船会社、日本初の外国航路(横浜・上海定期航路)開設 | 前史 | |
5月 | 三菱汽船会社と改称 | 前史 | |
5月 | 大久保利通、海運三策提出 | 前史 | |
6月 | 日本国郵便蒸気船会社解散 | 業界・一般事項 | |
9月 | 三菱汽船に第一命令書下付 | 前史 |