※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
12月1日 | 生糸絹物専用倉庫を横浜に設置することを条件として、第二次の帝国蚕糸株式会社はその建設資金を政府に寄付することを決定した。 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月19日 | 右寄附金が国庫に納付された。 | ||
3月23日 | 生糸検査所新営費に含まれて倉庫建設の政府の予算が確定した。(この計画は関東大震災のため一応破算となった。) | ||
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 再び倉庫建設の政府の予算が確定した。 | ||
11月19日 | 蚕糸倉庫会社創立の建議が蚕糸業同業組合中央会総会に提出され議題となって可決された。 | ||
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月5日 | 生糸絹物専用倉庫は横浜生糸検査所の附属として同所の新営とともに起工された。 | ||
1月14日 | 蚕糸業同業組合中央会長は蚕糸倉庫会社設立委員十四名を指名し委嘱した。 | ||
10月15日 | 設立委員会は資本金三百万円の帝国蚕糸倉庫株式会社を設立することを決定した。 | ||
11月6日 | 倉庫貸付条件について政府の命令事項が農林省農務局長より設立委員に内示された。 | ||
11月11日 | 設立委員会は定款案、目論見書等を決定し、創立発起人十二名を推薦した。 | ||
11月16日 | 発起人会は創立事務所を東京市麹町区有楽町一の一中央会内に置くこととし、株式募集の範囲を限定し、割当方法を決定した。 | ||
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月27日 | 輸出生糸検査法公布。この法律により昭和二年七月一日より輸出生糸全部に正量検査加実施された。○//(以上は当社創立以前の事項。) | 間接関連事項 | |
4月2日 | 創立。創立総会を横浜市本町一丁目横浜市復興会内に開き、定款を議定し、取締役十二名及び監査役三名を選任し、取締役中より社長に志封源太郎を、専務取締役に加賀山辰四郎を選任した。 | ||
4月26日 | 事務所を東京より横浜市北仲通旧六丁目七十七番地(現在の場所)に移した。 | ||
5月31日 | 生糸絹物専用倉庫及び附属建物諸施設とも工事全部完成。 | ||
6月21日 | 生糸検査所庁舎並びに生糸絹物専用倉庫の竣工披露式が行われた。 | ||
7月9日 | 政府と倉庫等の貸借契約を締結した。 | ||
7月15日 | 開業。生糸の保管営業を開始した。 | ||
11月1日 | 絹物及び蚕糸副産物の保管営業を開始した。 | ||
11月3日 | 糸況悪化に対処するため蚕糸業同業組合中央会総会は生糸の共同保管(第一次)を実行することを決議した。○ | 間接関連事項 |