※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和23年(1948) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 | 渋沢関係略年譜 |
10月1日 | 朝日放送創立準備委員会を朝日新聞審議室内に設け対外的にも活動開始。 | ||
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 朝日放送創立準備委員会の大阪事務局を開設して計画を進める。 | ||
12月15日 | 朝日放送株式会社(東京、大阪両局)の申請を行なう。 | ||
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 電波三法に関する第七国会公聴会(衆議院)開かれ朝日放送創立準備委員長杉山勝美(朝日新聞)は企業開拓への不屈の精神を述ぶ。 | ||
4月26日 | 電波三法参院修正が衆院通過成立。 | ||
6月1日 | 電波三法施行、電波庁廃止、電波管理委員会発足。 | ||
10月19日 | 放送局開設の「根本的基準」聴聞会開かれ(二十五日まで)杉山勝美、伊藤豊(創立準備委員)出席。 | ||
12月1日 | 「根本的基準」制定公布。当局より「東京は二局、他は一地区、一局を免許する」旨の声明あり、これによって各地に統合問題おこる。 | ||
12月1日 | 朝日放送株式会社(大阪)の第一回発起人会を開き、発起人総代加藤祗文に決定する。 | ||
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 大阪朝日放送株式会社(東京に統合気運起りこれを分離して)の申請を改めて行なう。 | ||
3月2日 | 第二回発起人会を開き、資本金を一億円に決定する。 | ||
3月8日 | 発起人株式引受完了。 | ||
3月15日 | 創立総会を朝日新聞大阪本社会議室で開き、役員を次のごとく決める。//取締役社長石井光次郎、専務取締役平井常次郎(以上代表取締役)取締役井口竹次郎、同佐伯勇、同野田誠三、同飯田慶三、同夏目小一郎、監査役弘世現、同阪田素夫、同竹田省。 | ||
3月16日 | 「大阪地区の予備免許順位決定のため」の聴聞会が大手前会館で開かる。(二十二日まで)杉山勝美、伊藤豊、平井常次郎、大谷茂樹ら出席。 | ||
4月21日 | 本社ら十六局に民間放送の予備免許下る。三月の聴聞会は大阪における第一位は朝日放送と結審さる。 | ||
6月1日 | 朝日新聞社、並びに近畿日本鉄道株式会社より社員の出向決る。 | ||
6月1日 | 最初の機構を次の通り決める。//放送部(報道課、学芸課、庶務課)業務部(総務課、経理課、広告課)技術部(演奏所、送信所)東京支社。 | ||
6月14日 | 堺(三宝)送信所鍬入式。 | ||
6月20日 | 「民間放送展」を近鉄アベノ百貨店で二十八日まで開く。会期中総司令部メレデイス放送課長視察。 | ||
6月27日 | 初の録音を東京ビクターで行なう。番組「おやすみ音楽」平岡養一のシロフォンでピアノ伴奏は田中園子。 |