朝日放送(株)『ABC十年』(1961.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
12月8日 東京支社、朝日新聞東京本社六階より朝日ビル四階の新支社に移る。
12月11日 東京支社開設披露パーティーを新支社で行なう。
12月20日 新日本、電通、本社の三社で「放送調査委員会」を設置。民放初の調査機関となる。
12月24日 東阪二線式開通。
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
1月1日 正月特別プロ。タイム・セールス十二時間二十分。
1月4日 定時プロ。一日平均タイム・セールス六時間一分。スポット十四分。
1月19日 上方落語研究会を米朝、米之助で始める。
1月21日 新日本、電通、本社の放送調査委員会によって聴取率調査を一週間実施。民放初の調査で今日まで続行。
1月30日 硫黄島戦跡報道のためCAT機でアナウンサー高石義種、東京支社技術部員田中宇八初の海外特派。
2月1日 硫黄島特集放送を行なう。
2月1日 業務部に企画調査課、放送部にスタジオ課、編成課を設置。
2月29日 プロ野球オープン戦、ABC杯争奪巨人対南海第一回定期戦を芥田武夫氏を解説者として起用。わが国初の解説つき野球放送。
4月1日 初の料金改定。
4月5日 プロ野球、中日対巨人戦(六日も)。中日球場から初放送。
4月9日 日航機木星号遭難事件。本社と共に東京支社活躍。
4月17日 関西私鉄スト。初の終夜ニュース放送を行なう。
5月3日 ハワイKGU局と本社交換プロ。午後十一時十五分から三十分間「ハワイアン・スター」(番組名)セレナード集を放送。毎週土曜の夜に約十カ月間放送。本社から歌謡曲、民謡集などを送り、初の日米交換プロとなる。
5月11日 大相撲夏場所、蔵前国技館より文化放送と共同制作で実況中継始まる。東京支社の初のスタジオ外中継。
5月22日 第二回定時株主総会。当期欠損二、〇六八、七三一円。
5月25日 東京競馬場より日本ダービーを最初の競馬放送として中継。
PAGE TOP