日本電信電話公社関東電気通信局『関東電信電話百年史. 上』(1968.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
11月 「伝信機之布告」(7項)を東京および横浜両伝信局の名で布告(電信法令のはじめ) 日本の電信電話
12月25日 東京―横浜間に公衆電報(和文)取扱い開始 関東の電信電話
12月25日 伝信機役所を伝信局と改称 日本の電信電話
12月 築地伝信局―外務省間(11町20間)に地底線による官庁専用の電報託送線を開設 関東の電信電話
- ○年末伝信局数2 日本の電信電話
- 和泉要助、人力車発明 社会一般
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
1月27日 国旗「日の丸」を制定布告 社会一般
1月 築地伝信局―民部大蔵省間(22町50間)電信線開通(ブレゲー指字機使用) 関東の電信電話
3月15日 佐倉の人、西村勝三、築地入舟町に伊勢勝製靴工場を設立、靴の製造をはじめる 社会一般
3月22日 和泉要助、人力車営業の認可を受ける(人力車営業のはじめ) 社会一般
4月16日 東京―横浜間に横文(欧文)公衆電報の取扱い開始(日本政府機械方アール・ヘンリー・ブラントンの名で布告)(新暦5.16) 関東の電信電話
4月24日 種痘を全国に施行 社会一般
6月 官営の前橋製糸所創立 社会一般
7月10日 民部大蔵省を民部省と大蔵省に分離 日本の電信電話
7月10日 電信事務は民部省所管となり、省内にはじめて専門の掛として伝信機掛を設置 日本の電信電話
7月19日 普仏戦争はじまる 社会一般
8月12日 城ヶ島灯台できる(8.13点火) 社会一般
8月20日 大阪川口・神戸両伝信局開局 日本の電信電話
8月20日 大阪―神戸間電信線開通 日本の電信電話
8月25日 デンマーク国大北電信会社に長崎―上海間および長崎―ウラジオストック間海底線陸揚げならびに長崎―横浜間海底線布設のことを許し条約書を交換 日本の電信電話
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