日本電信電話公社東京電気通信局『東京の電話 : その五十万加入まで. 上』(1958.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
文政2年(1819) - ホイートストン(英)機械的伝話機を発明 社会一般
天保8年(1837) - ペイジ(米)鉄片を急に磁化・消磁し、音の発生を発見 社会一般
安政元年(1854) - ブルサール(仏)電路の開閉で音声を再生する着想を発表 社会一般
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
- ライス(独)音楽・言語の伝送に成功テレフォンと名づけた 社会一般
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
12月9日 王政復古 社会一般
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
2月3日 駅逓司設置 日本の電話
7月17日 江戸を東京と改称 東京のうごき
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
3月28日 東京奠都 東京のうごき
10月 鉄砲洲の運上門に伝信機役所(電報局のはじめ) 東京のうごき
10月 東京・横浜間、公衆和文通信取扱はじまる 東京のうごき
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
10月20日 工部省設置 日本の電話
- 市内大寺に公立小学校 東京のうごき
- 和泉要助、人力車発明 東京のうごき
- 虎の門、ほか一一ヵ所に書状集箱(ポストのはじめ) 東京のうごき
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
2月 切手発行 東京のうごき
3月 日本橋四日市に「郵便役所」(郵便局のはじめ) 東京のうごき
6月 上海・長崎間、海底電信線開通(海外通信のはじめ) 社会一般
7月 駅逓司を駅逓寮と改称 日本の電話
8月 工部省に電信寮をおく 日本の電話
10月 モールス印字機、初渡来 社会一般
PAGE TOP