日本電信電話公社東京電気通信局『東京の電信電話 : 続・東京の電話. 下』(1972.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
3月25日 熊本~小樽間の電信線開通(日本縦断成る) 電信年表
10月15日 全国の電報取扱時間を午前6時から午後10時までに統一 電信年表
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
1月2日 電信局のない地域から郵便による電報発信の制度を開設 電信年表
10月24日 熊本の事変で電信局襲撃される(神風連の乱) 電信年表
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月11日 工部省電信寮を廃止し「電信局」をおく、従来の電信局は電信分局と改称 電信年表
2月19日 西南戦争のため電信による私報を停止(~10.5) 電信年表
4月 築地電信分局~工部省間に初めて音響機を設置 電信年表
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
3月25日 電信開業式挙行、木挽町に電信中央局開局、築地電信分局の業務いっさいを承継 電信年表
3月25日 万国電信公法により国際電報の正式業務を開始 電信年表
12月15日 新橋、品川、大森、川崎、鶴見、神奈川、横浜の鉄道停車場電信分局で、一般電報の取扱い開始 電信年表
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 濁点、半濁点をつけた文字は2字分を課金、至急等の制度実施 電信年表
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
4月1日 葵町電信分局開業 電信年表
6月 横浜~神戸間に二重電信機初めて使用 電信年表
8月30日 駆使勤務規則を制定 電信年表
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 深川電信分局開業 電信年表
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
10月2日 電信私設規則を廃し、電信はすべて官設に限るものとする 電信年表
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 電信条例制定、電報料金全国均一制実施(旧条例廃止)、電信切手発行 電信年表
12月22日 逓信省創立、工部省廃止、電信事業は逓信省の所管に移る 電信年表
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
3月25日 電信中央局を東京電信分局と改称 電信年表
4月16日 電信修技学校を設置 電信年表
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