宇治川電気(株)『宇治電之回顧』(1942.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
2月6日 高木文平氏外五名、淀川、瀬田川沿岸水路開鑿許可申請をなす
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
1月7日 発起人二十二名決定に付追加願提出す
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
4月4日 淀川、瀬田川沿岸水路開鑿許可せらる
4月30日 藤田伝三郎氏外五名発起人追加申請す
6月21日 発起人会開催、定款作成、創立委員に土居通夫、高木文平、法橋善作、岩谷松平、野村久一郎、浅見又蔵、有賀文八郎六氏選任せらる
6月21日 田村太兵衛氏会計委員に選任せらる
6月21日 創立委員会に於いて委員長に藤田伝三郎氏当選就任す
6月21日 創立事務所を大阪市北区堂島浜通二丁目に設置す
9月15日 総株式二十五万株の引受及証拠金の払込終了
9月15日 総株式の第一回払込金参百拾弐万五千円(一株金拾弐円五拾銭)の払込をなす
10月25日 大阪商業会議所に於いて創立総会開会、取締役に中橋徳五郎、土居通夫、岩谷松平、高木文平、浅見又蔵、監査役に田中市兵衛、大倉喜八郎、田中源太郎各氏を選任、更に取締役会に於いて社長に中橋徳五郎氏を互選す
10月25日 本店を京都市下京区東洞院七条下ル塩小路町十八番地に設置す
10月25日 京都区裁判所に宇治川電気株式会社設立の登記を了す
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・創立委員長(後に取締役会長)。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
1月25日 大阪株式取引所に於いて当社株式定期取引開始す
10月25日 淀川、瀬田川水路開鑿工事施行認可せらる
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸実業家一行招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
5月20日 本店を京都市下京区七条通加茂川西入稲荷町十六番戸に移転す
12月15日 宇治発電所工事に着手す
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
9月10日 田中源太郎氏監査役を辞任す
10月24日 取締役高木文平、岩谷松平両氏任期満了辞任、取締役に池原鹿之助、原富太郎両氏選任せらる
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
4月1日 株金第二回金参百拾弐万五千円(一株金拾弐円五拾銭)払込をなす
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