※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 福崎発電所新設許可申請書を提出す | ||
3月12日 | 第四回社債総額壱百万円を発行す | ||
4月24日 | 林安繁取締役兼支配人に選任せらる | ||
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 資本金壱千弐百五拾万円増加に決定す(増加株式二十五万株) | ||
5月1日 | 第一回新株式第一回株金参百拾弐万五千円(一株金拾弐円五拾銭)の払込をなす | ||
10月20日 | 第五回社債総額弐百万円を発行す | ||
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 福崎発電所新設を許可せらる | ||
5月15日 | 村木正憲氏常務取締役を辞任す | ||
5月21日 | 第六回社債壱百五拾万円を発行す(其後全額償還) | ||
9月9日 | 取締役土居通夫氏死去せらる | ||
9月28日 | 村木正憲氏取締役を辞任す | ||
10月24日 | 中川浅之助氏取締役に選任せらる | ||
10月24日 | 野口遵氏取締役に選任せらる | ||
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 第七回社債五百万円発行す(其後全額償還) | ||
4月24日 | 中川浅之助氏常務取締役に選任せらる | ||
9月28日 | 取締役社長中橋徳五郎氏辞任す | ||
10月24日 | 中川浅之助氏取締役社長に選任せらる | ||
10月24日 | 林安繁常務取締役に選任せらる | ||
10月24日 | 山岡順太郎氏取締役に選任せらる | ||
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月24日 | 定款の一部を変更す |