日本製粉(株)『日本製粉社史 : 近代製粉120年の軌跡』(2001.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
- この年、福岡、富山、新潟の各県に米騒動起こる 業界・社会一般事項
明治25年(1892) - 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 渋沢関係略年譜
- 有限責任日本製粉会社の経営、南條新六郎、境豊吉へ 当社関連事項
明治26年(1893) - 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
7月1日 商法一部(旧会社編)施行 業界・社会一般事項
- この年、世界的に穀物価格暴落 業界・社会一般事項
明治27年(1894) - 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 渋沢関係略年譜
3月1日 有限責任日本製粉会社の資産・負債を継承して、南條新六郎と境豊吉が中心となり、東京製粉合資会社(資本金1万2000円)を設立 当社関連事項
8月1日 日清戦争起こる(~28年3月) 業界・社会一般事項
- この頃からストライキ等労働争議活発化 業界・社会一般事項
明治28年(1895) - 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 渋沢関係略年譜
4月17日 日清講和条約調印(台湾の譲渡、賠償金支払い、中国における開港・開市等) 業界・社会一般事項
10月 札幌製粉場、後藤半七の個人経営となり、札幌第一製粉所に改称 当社関連事項
明治29年(1896) - 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 渋沢関係略年譜
6月13日 南條新六郎は長尾三十郎、恒川新助、笠原円蔵、境豊吉、志摩万次郎、立川健蔵を招き、東京市深川区東扇橋町8番地(現在の東京都江東区扇橋1丁目20番)における日本製粉株式会社の設立(資本金30万円、設立までに4分の1払込み)および機械製粉工場の設立計画を諮る 当社関連事項
6月19日 発起人10名(南條、長尾、笠原、立川、坂本恒次郎、吉川長三郎、神谷伝兵衛、村上太三郎、井野粂吉、境)により日本製粉設立認可申請書を東京府に提出 当社関連事項
7月2日 欧米を視察する鈴木藤三郎(日本精製糖)に製粉機械購入を依頼。鈴木はサンフランシスコのワグネル製造所に200バーレルの機械一式を発注(正式契約は茂須礼商会を通ず) 当社関連事項
7月12日 発起入と東京製粉合資会社との間に資産引継ぎ契約を締結、同社資産を継承 当社関連事項
9月7日 東京府から設立認可指令書受領 当社関連事項
9月26日 東京市日本橋区浜町(日本橋倶楽部)において創立総会開催。取締役に南條、境、長尾、村上、笠原を、監査役に吉川、森一馬、坂本を選任 当社関連事項
9月28日 第1回取締役会。南條取締役は取締役社長、境取締役は専務取締役就任 当社関連事項
10月9日 設立免許申請書を農商務大臣に進達 当社関連事項
10月30日 設立免許指令(ll月16日東京府から受領) 当社関連事項
12月28日 商業登記申請、同月31日をもって会社開業の期日と定め登録を受ける 当社関連事項
- 後藤半七、200バーレルの機械を購入。札幌市北五条西7丁目に新工場建設着工(34年竣工) 業界・社会一般事項
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