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(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
| 年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
|---|---|---|---|
| 明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 9月 | 東京市会に於て電柱税賦課決議さる | ||
| 明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 6月12日 | 新商法に応ずる為臨時総会に於て定款を変更す | ||
| 9月1日 | 増資第一回払込 | ||
| 9月6日 | 社金費消事件起る | ||
| 11月27日 | 吉原変圧所落成す | ||
| 11月29日 | 浅草発電所設備の増設工事(第三工事)を警視庁に出願す | ||
| 12月18日 | 木村社長社員の社金費消事件につき責を負ひ再選を辞退し佐竹作太郎氏社長となる | ||
| 明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
| 1月25日 | 臨時総会に於て社金費消事件に対し重役のみにて全責任を負担せるを徳とし株主よりも其一半を補償せんことを決議す | ||
| 9月17日 | 東京電気鉄道会社に対し電気供給事業を許可せらる | ||
| 9月25日 | 浅草発電所第三工事の内第一期増設工事許可せらる | ||
| 10月20日 | 東京市電柱税特別税を賦課徴収す | ||
| 明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 5月29日 | 浅草発電所設計変更の件申請す | ||
| 8月19日 | 同上[浅草発電所設計変更の件]許可せらる | ||
| 明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 4月22日 | 浅草発電所第三工事の内第一期増設工事竣工す | ||
| 8月1日 | 品川電灯会社を買収す | ||
| 8月7日 | 東京市街鉄道会社との間に六百キロワットの電力供給契約を締結す | ||
| 10月29日 | 臨時総会に於て本社を麹町区内山下町一丁目一番地に仮移転の上麹町区有楽町3丁目3番地に本社新築を決議す | ||
| 11月4日 | 本社を麹町区内山下町一丁目一番地に移転す- | ||
| 明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 1月25日 | 浅草発電所第三工事の内第二期増設工事認可せらる | ||
| 3月 | 芝発電所増設工事竣工す |
