※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 北海道製糖(株)を東京都(東京市)に設立(資本金1,000万円、取締役社長 松方正熊 | 当社 | |
6月 | 「ベルサイユ条約」、「国際連盟規約」、「国際労働規約」調印 | 業界・一般 | |
11月 | 本社を東京都(東京市)から北海道帯広市(帯広町)へ移転 | 当社 | |
11月 | 大農式農具類一式を米国より購入し米国人技師を招き技術指導をうける | 当社 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | てん菜種子の採種を帯広市(大正村)で開始 | 当社 | |
3月 | 株式暴落を契機として恐慌おこる | 業界・一般 | |
4月 | 旧日本甜菜製糖(株)を東京都(東京市)に設立(資本金1,000万円、取締役社長 山口誠太郎) | 当社 | |
5月 | 日本での最初のメーデーを実行 | 業界・一般 | |
12月 | 北糖帯広工場完成 | 当社 | |
- | (湿害) | 当社 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 北糖帯広工場の専用鉄道について使用開始の許可をうける | 当社 | |
8月 | 根室本線全線開通 | 業界・一般 | |
10月 | 旧日甜清水工場完成 | 当社 | |
11月 | 首相原敬暗殺され高橋是清内閣成立 | 業界・一般 | |
11月 | 皇太子裕仁親王摂政となる | 業界・一般 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 摂政裕仁親王の北海道ご巡覧に際して松方社長は社業をご説明 | 当社 | |
12月 | 「北海道甜菜耕作補助規定」により助成 | 業界・一般 | |
- | (水害) | 当社 | |
- | 電灯が70%の家庭に普及 | 業界・一般 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 北糖は旅客および貨物運輸営業免許をうける | 当社 |