※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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縄文時代(B.C.7500) | - | 東日本の縄文人さかんに鰹を食べる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 採取経済・雑食時代 | 社会・経済・文化 | |
弥生時代(B.C.300) | - | 主食・副食の分離 | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 米作がひろまる | 社会・経済・文化 | |
675年 | - | [原資料は657年、天武3年] 天武天皇、殺生禁断の詔 | 社会・経済・文化 |
大宝元年(701) | - | 大宝律令による海産物調賦令で、煮堅魚《にかつお》などの賦課定める | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 大宝律令を施行し、官名や位階の制を改正する | 社会・経済・文化 | |
和銅5年(712) | - | 『古事記』が完成し、中に堅魚の文字が見える | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 太安万侶《おおのやすまろ》『古事記』を撰上 | 社会・経済・文化 | |
養老2年(718) | - | 養老律令による海産物調賦に、堅魚煎汁《いろり》の記録あり(調味料としての鰹の利用として注目される) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 藤原不比等に命じてさらに律令を撰し各々一〇巻とする | 社会・経済・文化 | |
延喜元年(901) | - | 『延喜式』に堅魚・煮堅魚・堅魚煎汁の記録あり | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 菅原道真、太宰府に左遷される | 社会・経済・文化 | |
元弘元年(1331) | - | 吉田兼好『徒然草』のなかで鰹を下魚と決めつける | “にんべん”とかつお節の歴史 |
天文6年(1537) | - | 北条氏網、「勝負に勝つ魚」として干鰹を出陣の引出物に用いる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
元和元年(1615) | - | 山内忠義、家康に干鰹を贈る | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 大阪夏の陣 | 社会・経済・文化 | |
元和9年(1623) | - | 幕府、キリシタン多数を処刑する | 社会・経済・文化 |
寛永元年(1624) | - | (寛永年間)初代高津与次兵衛(初代高津伊兵衛の祖父)、生地尾張の国(愛知県)から勢州(三重県)四日市中町に移り住み、雑穀・油・干鰹を商う | “にんべん”とかつお節の歴史 |
寛永16年(1639) | - | 二代目高津与次兵衛生まれる | “にんべん”とかつお節の歴史 |