※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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寛永20年(1643) | - | 摂津佃の漁民に江戸佃島を与える(佃煮の起源) | 社会・経済・文化 |
寛文6年(1666) | - | 徳川光圀、領内の新寺をこわす | 社会・経済・文化 |
寛文8年(1668) | 11月21日 | 初代与次兵衛死去(戒名 天室宗真居士) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
寛文10年(1670) | 2月12日 | 初代与次兵衛妻死去(天空妙円大姉) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 農民の衣食住、町人の家督、訴訟手続などの条令制定 | 社会・経済・文化 | |
延宝2年(1674) | - | 紀州の甚太郎、土佐の宇佐浦にきて五代目播磨屋佐之助に焙乾による鰹節の製法を伝える(伝承) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 狩野探幽没 | 社会・経済・文化 | |
延宝3年(1675) | 1月18日 | 二代目与次兵衛先妻死去(花屋理春姉) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | この春、前年に続いて諸国飢饉 | 社会・経済・文化 | |
延宝7年(1679) | 3月17日 | 初代高津伊兵衛、二代目与次兵衛の末子として四日市に生まれる。幼名伊之助 | “にんべん”とかつお節の歴史 |
天和2年(1682) | - | 松阪出身の三井高利、越後屋呉服店(三越)で「現金安売り掛値なし」の新商売をはじめる | 社会・経済・文化 |
元禄4年(1691) | - | 初代伊兵衛一三歳にて志高く江戸へ上り、日本橋小舟町一丁目の油屋太郎吉という雑穀商に年期奉公に入る | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 幕府、江戸・大阪間の公金為替実施のため三井組などに命じ御為替組を設ける | 社会・経済・文化 | |
元禄11年(1698) | 11月 | 南関東に大地震、江戸大火で湯島聖堂、神田明神などが焼失 | 社会・経済・文化 |
元禄12年(1699) | 10月 | 幕府財政窮乏のため経費節減令を発布 | 社会・経済・文化 |
- | 初代二一歳、江戸青物町甚右衛門のところの出店衆(支店長)となり、日本橋四日市土手蔵(現在の日本橋一丁目野村証券本店付近)で鰹節と塩干類の露店を出す。この年を“にんべん”の創立年とする。初代、食うものも食わず苦労を重ね、五年間で二百両を貯える | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
元禄15年(1702) | - | 赤穂浪士討入り事件 | 社会・経済・文化 |
宝永元年(1704) | 11月 | 湯島大聖殿完成する | 社会・経済・文化 |
宝永2年(1705) | - | 初代二七歳、〓[「の逆向き+イ]伊勢屋伊兵衛と屋号を定め、伊之助を伊兵衛に改名 | “にんべん”とかつお節の歴史 |
宝永6年(1709) | - | 五代将軍綱吉没、家宣が六代将軍に | 社会・経済・文化 |