※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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正徳元年(1711) | - | 初代三二歳で本所の材木商岡田屋喜兵衛の娘初一八歳と結婚 | “にんべん”とかつお節の歴史 |
正徳2年(1712) | - | 二代目小舟町で生まれる。幼名長太郎(初代長男) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 江戸に大名火消設置 | 社会・経済・文化 | |
正徳4年(1714) | - | 三代目小舟町で生まれる。幼名伊之助(初代次男) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | この年近畿諸国不作で米価高騰 | 社会・経済・文化 | |
享保2年(1717) | 7月 | 初代娘いよ生まれるが、翌年四月二三日死去。八月一七日初代妻、産後の肥立ち悪く夭逝。二四歳(蘭渓理秋信女) | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 大岡忠相(越前守)を江戸町奉行に登用 | 社会・経済・文化 | |
享保4年(1719) | - | 初代、先妻の姉妹を後妻にむかえる | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 金銀貸借・買掛についての出訴を不条理とする | 社会・経済・文化 | |
享保5年(1720) | 3月 | 江戸大火、八月江戸町人火消いろは四五組を創設。 | 社会・経済・文化 |
- | 現在の本社のある所に現金小売の店を出す。初代の信条は「現金かけ値なし」で良品を売ることだった。これが“にんべん”繁栄の基礎となった。この時の看板「現金かけ値なし小判六〇匁銭時相場」は初代の筆になるもので、関東大震災で焼失するまで帳場の上に掲げてあった。 | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
- | 初代三男長次郎生まれる | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
- | キリスト教以外の禁書の輸入解禁される。 | 社会・経済・文化 | |
- | 元禄銀・宝永銀・四宝銀などの通用期限を来年までとする。 | 社会・経済・文化 | |
享保6年(1721) | 10月10日 | 神田永富町から出火し江戸大火 | 社会・経済・文化 |
- | 瀬戸物町の店類焼する。御公儀の命により、土蔵造りで新店舗を完成、商売ますます繁栄する。この店舗は関東大震災で焼失するまで二〇二年間火災による類焼を免れた。“にんべん”の店舗だけ類焼を免れたので、にんべんの門松を持っていれば火災よけになるという迷信が一時流行し、正月を迎えないのに門松がむしり取られてしまったという | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
享保7年(1722) | 7月27日 | 初代の父与次兵衛死去 | “にんべん”とかつお節の歴史 |
- | 瀬戸物町の店に一家全員が移り、ここを本店とし、“にんべん”の基礎が定まる。 | “にんべん”とかつお節の歴史 | |
- | 日本橋魚市場に七組問屋できる。 | 社会・経済・文化 | |
- | 幕府、諸大名に上げ米を課し、参勤交替期限を緩和 | 社会・経済・文化 |