※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月25日 | 工部大学校教師イギリス人エアトン、電信中央局開業祝宴会場の同校ホールで、わが国初のアーク灯点灯(グローブ電池を使用)。のちに、この3月25日を電気記念日とする | 電気事業全般 | |
5月1日 | 起業公債証書発行条例制定 | 社会一般 | |
5月4日 | 株式取引所条例制定 | 社会一般 | |
5月14日 | 参議兼内務卿大久保利通、石川県士族島田一郎ら6人に刺殺される | 社会一般 | |
6月1日 | 東京株式取引所開業 | 社会一般 | |
10月15日 | エジソン電灯会社設立 | 電気事業全般 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月3日 | 高岡に大火、焼失2,000戸 | 社会一般 | |
3月 | 石川県、旧藩士卒の困窮者に対し授産資金貸与を決定。以後、これにならう県多くなる | 社会一般 | |
10月21日 | エジソン(米)、炭素線電球(白熱灯)を発明(スワン(英)も同時期に炭素線電球を発明) | 電気事業全般 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月5日 | 官営工場払下概則制定(17年10月3日廃止) | 社会一般 | |
- | エジソン、京都八幡産の竹で電球繊条製作 | 電気事業全般 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 第七連隊兵舎より失火、金沢城焼失 | 社会一般 | |
10月21日 | 松方正義、参議兼大蔵卿に就任 | 社会一般 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | エジソン電灯会社、ロンドンで世界最初の一般供給用のホルボーン・バイアダクト発電所運転開始 | 電気事業全般 | |
5月15日 | 富山県氷見に大火、焼失1,600戸 | 社会一般 | |
6月22日 | 政府、士族勧業資本金として、307万5,000円支出を決定 | 社会一般 | |
9月4日 | エジソン電灯会社、ニューヨークでバール街発電所運転開始 | 電気事業全般 | |
10月10日 | 日本銀行開業 | 社会一般 | |
11月1日 | 東京電灯、銀座仮事務所前でアーク灯点灯 | 電気事業全般 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 東京電灯設立 | 電気事業全般 |