東京瓦斯(株)『東京瓦斯五十年史』(1935.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
6月 川崎瓦斯株式会社(神奈川県川崎町所在)を譲受け同知事より営業の許可を受く。
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
6月 職制に改革を加へ従業員の大陶汰を断行して大に整理緊縮に努む。
6月 芝第二製造所を芝製造所となし、芝第一製造所を金杉分工場として芝製造所に所属せしむ。
7月 欧洲大戦始る
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
3月 東京市内に於ける瓦斯料金を一千立方呎に付金一円七十五銭に改む。
3月 芝製造所金杉分工場を休止す。
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
10月 暴風海嘯の為め深川製作所、砂村製造所、精製所等水害を蒙り瓦斯製造を制限又は休止の已むなきに至る。
12月 芝製造所金杉工場を閉鎖す。同工場は当社の創業地にして且つ東京に於ける瓦斯工場の濫觴なり。
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
10月 欧洲大戦勃発後石炭其の他諸材料著騰し、労銀も亦激騰、瓦斯製造費甚しく増嵩し経営困難を極む。之が為め瓦斯料金一千立方呎に付金一円の値上承認を東京市に請願す。
11月 欧州大戦終る。
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
10月 客年十月申請の瓦斯料金値上は東京市より当分の内一千立方呎に付金五十銭を承認されたるに依り東京市内瓦斯料金を一千立方呎に付金二円二十五銭に改む。
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
4月 研究所を新設す。
7月 瓦斯の供給を潤沢ならしむる為め神奈川「コークス」株式会社と一昼夜に付二〇〇万立方呎乃至二七〇万立方呎の瓦斯購入契約を締結す。期限は十五ヶ年なり。
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
3月 器具陳列所(本社内所在)を丸ノ内「ビルデイング」一階に移す。
4月 東京「コークス」販売株式会社を買収して「コークス」販売に努力す。
9月 一日午前十一時五十八分関東地方に大地震起る。//瓦斯の供給は一時中止の余儀なきに至る。極力焼跡及残存区域の供給設備の修理復旧に努め早くも二十二日に至り本郷区森川町より肴町に至る電車軌道に沿える需要家に瓦斯供給を開始す。社屋焼失に付本社を一時丸ノ内「ビルディング」三階に移す。
10月 四谷営業所を新設す。
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
3月 社債第一回五百万円を募集す。
4月 本社を麹町区有楽町一丁目一番地に移す。
10月 社債第二回金三百万円を募集す。
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