※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月10日 | 藩制改革を布告 | 前史■一般 | |
12月7日 | 高島嘉右衛門ら神奈川県からガス灯建設を許可される | 前史■ガス事業界 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月14日 | 新橋‐横浜間鉄道開業式(日本最初の鉄道) | 前史■一般 | |
10月31日 | ガス灯横浜に初めて点火(わが国ガス灯事業第一号 陰暦では9・29) | 前史■ガス事業界 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | 地租改正条例布告 | 前史■一般 | |
12月13日 | 東京会議所、ガス灯建設の免許を受ける | 前史■ガス事業界 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 副島・後藤・江藤・板垣ら八人、民選議院設立建白書を左院に提出 | 前史■一般 | |
12月18日 | 東京に初めてガス灯点火(金杉橋―京橋間に八五基) | 前史■ガス事業界 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 帯刀を禁止(大礼服着用及び軍人・警察官・官吏制服着用の場合を除く 廃刀令) | 前史■一般 | |
5月25日 | 東京会議所行務事業を東京府に引き渡し、東京府瓦斯局となる(事務長渋沢栄一) | 前史■ガス事業界 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月4日 | 琉球藩を廃し・沖縄県とする旨布告 | 前史■一般 | |
8月8日 | 渋沢栄一、東京府瓦斯局長に就任 | 前史■ガス事業界 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月27日 | 東京府区部会、瓦斯局払下げを決議 | 前史■ガス事業界 | |
10月18日 | 自由党結成会議、浅草井生村楼で開会//(10・29総理に板垣退助を選挙) | 前史■一般 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月7日 | 東京府区部会、瓦斯局売却処分を決定 | 前史■ガス事業界 | |
10月10日 | 日本銀行開業 | 前史■一般 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 日本鉄道山手線品川―赤羽間開通 | 前史■一般 | |
4月18日 | 天津条約に調印 | 前史■一般 | |
6月24日 | 東京臨時区部会、瓦斯局売却を可決 | 前史■ガス事業界 | |
7月1日 | 東京府庁、瓦斯局払下広告 | 前史■ガス事業界 |