※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月10日 | 札幌工場にガスホルダー(2,300m3)1基が完成した。 | ||
9月16日 | 札幌支店および各営業所が業務を開始し各仮事務所が廃止になった。なお札幌支店および札幌営業所函館営業所の所在地はそれぞれ仮事務所あと。また小樽営業所は社屋が完成(9月13日)したので小樽区入舟町22番地に移転した。//同じ日職制が改訂され小樽工場を小樽営業所より独立させ塩谷製造所とした。 | ||
9月17日 | 札幌区との間に報償契約を締結した。 | ||
9月30日 | 札幌でガスの供給(点火)を開始した。//同じ日函館工場にガスホルダー(3,000m3)1基が完成した。 | ||
10月7日 | 函館でガスの供給(点火)を開始した。 | ||
11月20日 | 塩谷製造所にガス発生炉(水平式レトルト炉4門28坩ガス製造能力6,000m3/d)が完成した。 | ||
11月25日 | 新社屋が完成(11月10日)したので札幌支店および札幌営業所を札幌区北4条御料地第11号地へ移転した。 | ||
11月27日 | 小樽区との聞に報償契約を締結した。 | ||
11月29日 | 小樽営業所にガスホルダー(3、000m3)1基が完成した。 | ||
12月12日 | 釧路町(9月19日)・室蘭町・岩内町・旭川町(9月20日)・留萌町・余市町(9月21日)におけるガス事業開始(正式にはガス管施設許可申請書)の許可申請を行なっていたところ岩内町・余市町をのぞき許可された。 | ||
12月18日 | 上記につづき岩内町も許可された。 | ||
12月23日 | 塩谷製造所にガスホルダー(1,400m3)1基が完成した。//同じ日小樽でガスの供給(点火)を開始した。これにより札幌・小樽・函館ともガスの供給を開始したことになる。 | ||
12月23日 | 夕張炭砿においてふたたび大爆発が発生して死者216名を出した。 | ||
- | この年札幌市街軌道(株)が設立され札幌区の中心街をはじめて馬車鉄道が走った。 | ||
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 北海道庁長官に対し出願中(大正元年9月21日)であった余市町におけるガス事業について認可された。 | ||
1月14日 | 本店を東京市麹町区有楽町1丁目1番地に移転した。 | ||
8月 | 道内各地を暴風雨が襲い大きな被害を与えた。 | ||
10月9日 | 旭川町・釧路町・室蘭町・岩内町・留萌町(9月8日)および余市町(9月10日)におけるガス管施設工事の着工延期を北海道庁長官に対し出願中のところ認可された。 | ||
12月1日 | 器具陳列場として借用中だった小樽区相生町2番地所在の建物を買収し小樽営業所社屋として改装をはじめた。 | ||
12月5日 | 函館市との間に報償契約を締結した。 |