北海道瓦斯(株)『北海道瓦斯55年史』(1966.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
- この年函館区の市街を馬車鉄道に変わり電車がはじめて走った。
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
2月 改装中だった社屋が完成したので小樽営業所を小樽区相生町2番地に移転した。ただし供給所はそのまま小樽区入舟町22番地においた。//また同所は1年程度でふたたび旧所在地に移転になったと推定されるが移転年月日は不明。
4月8日 函館区に大火発生771戸を焼失した。
6月2日 函館営業所を函館区末広町38番地に移転し同所にあった器具陳列場を併合した。
7月28日 第1次世界大戦がはじまる。
8月23日 日・英同盟に基づき対ドイツ宣戦を布告。日本も第1次世界大戦に参戦した。
9月2日 札幌・小樽・塩谷・函館における工場・土地・諸機械・導管などをもって工場財団を設定した。
11月 旭川の工場用地として旭川区宮下町通20丁目1955番地(3,967m2)を2年契約で借入れた。なお同契約は期間満了となった大正5年にさらに2年間契約・更改されそのまま期間満了と共に契約を解除した。
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
1月11日 取締役会長・高松豊吉が退任した。
1月15日 旭川工場を旭川区宮下町通20丁目に設置することについて北海道庁長官に認可を申請(大正3年11月20日)していたところ認可された。
2月1日 取締役会長に鈴木寅彦が就任し専務を兼任した。
3月1日 職制を改訂し塩谷製造所をふたたび小樽営業所の所属として塩谷工場と呼ぶこととした。
5月15日 北海道庁長官に出願(2月10日)していた旭川区における設計図工事順序方法などについて許可を得た。
7月 上川・空知・河西管内に大水害が発生大きな被害を与えた。
10月12日 北海道庁長官に出願(10月1日)していた旭川区における工事着手の延期願について許可された。なおこの許可は1年の期限付であったが大正5年11月30日にいたり再度延期願を申請し同年12月12日に許可されている。
11月24日 札幌工場で硫酸アンモニア製造の許可を得て製造をはじめた。
- それまで札幌区大通西3丁目にあった器具陳列場を閉鎖し札幌区大通西4丁目に札幌派出所を開設した。ただしほどなく閉鎖されている。
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月1日 職制を改訂し支配人制を廃して事務長と改めた。
5月18日 北海道庁長官に対し出願(大正4年11月5日)していた室蘭町・岩内町・留萌町・釧路町・余市町における工事方法などの申請書の提出を延期することについて許可された。なお前述のとおりこの年旭川区における工事着手延期期間の延長も申請し許可を得ているが実質的にはこのときをもって札幌・小樽・函館各区以外の地域でのガス事業を断念したと推定される。
7月1日 度量衡法施行規則の改正によりガスメーターも一般度量衡と同様に農務省の検定を必要とすることになった。検定有効期間は5カ年。ただし取付中のガスメーターには6カ年半の猶予期間が設けられた。
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