(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"小林勇"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正9年(1920) 4月24日 小林勇入店。(後取締役会長)。 岩波書店
昭和3年(1928) 8月27日 小林勇退店―独立して10月より鉄塔書院をはじめた。 岩波書店
昭和9年(1934) 11月19日 小林勇再び入店。 岩波書店
昭和20年(1945) 5月9日 店員小林勇検挙さる―小林は治安維持法違反の嫌疑で神奈川警察署に留置されたのであるが、すでにこのころには検挙はほとんど法律的根拠なくして行われる状態となっていて、真の理由は、言論統制を強化するため岩波書店に弾圧を加えようという政治的理由にあったと思われる。すでに前年の春、中央公論社並びに改造社に対しては、両誌の発行停止のみならず、いわゆる横浜事件と称するジャーナリストの検挙にからんで、両社そのものの解散が命ぜられていた。その一連の検挙がのびて小林に及んだものであって、取調べにあたった特高係り刑事は、岩波書店をつぶす予定であると放言したという。岩波茂雄の言動や岩波新書の内容を反時局的であるとして、きびしく追究されたが、小林の操守によって、累は岩波茂雄にも岩波書店にも及ばずにすみ、終戦後、8月29日、小林も釈放された。 岩波書店
昭和21年(1946) 3月31日 堤支配人は病気、堤久副支配人は信州に疎開中のため、小林勇が支配人代理をつとめ、長田幹雄がそれを輔佐することにした旨、店主から店員に通達。 岩波書店
12月 用紙割当委員会との関係―従来商工省紙業課に属した用紙割当委員会が、占領軍司令部の命令により内閣直属に変り、同時に委員会の担当大臣は行政面だけを監督する権限を有するに留まり、用紙割当に関する決定権はすべて委員会に属することになった。委員会は新聞部会と出版部会に分れ、各11人の委員で構成、うち5人は業界の代表者、5人は学識経験者、残りの1人は商工省繊維局長となっていた。出版部会においては、用紙割当の原案は日本出版部会の委嘱した文化委員によって作られ、それを参考にして委員会が決定した。この委員会発足以後、用紙は業者の在来の実績によらず個々の出版物に与えられる建前になり、その配給が民主的に大きく是正された。岩波書店の小林勇は出版部会の議長に選出されて2年間その仕事に当った。 岩波書店
昭和24年(1949) 4月25日 岩波書店、株式会社となる―岩波茂雄は創業以来個人経営をかえなかったが、戦時中および戦後発病以後、法人組織への変更を考慮していた。岩波の歿後、この問題は懸案となっていたが、当時の社会的混乱を考慮し、社会情勢と経済の一応の安定を待つこととし、経営の形態は変更しなかった。その後、戦後経済も安定し、業務も復興し、将来への見通しも可能となったので、かねての懸案をとりあげ、岩波茂雄歿後3年にあたるこの日、組織を株式会社に改めた。資本金5000万円。会長:堤常。取締役社長:岩波雄二郎。専務取締役:小林勇。常務取締役:長田幹雄。取締役:吉野源三郎(第3期より常務取締役)。監査役:安倍能成。営業・出版は長田、編集は吉野がそれぞれ担当。 岩波書店
昭和25年(1950) 5月1日 株式会社岩波映画製作所設立―岩波書店とは別個の独立の企業として設立されたが、役員には岩波書店の小林勇をはじめ、岩波雄二郎・曽志崎誠二が参加。 岩波書店
昭和31年(1956) 2月15日 岩波茂雄妻ヨシ歿す―ヨシは岩波茂雄が書店を開業したころ、或いは幼児を背にして店番をし、或いは夜おそくまで古本を整理したりして、つぶさに創業時の苦労を夫と共にし、今日の岩波書店の基礎をおいた。書店の経営が順調に発展するに及んで店務とは全く離れて家庭の人となっていた。その死去の日、専務小林勇はとくに社員の参集を求め、生前の岩波夫人を偲び、創業時におけるその献身的努力に言及して、社員と共に深く哀悼の意を表した。18日青山葬儀場で葬儀が行なわれた。 岩波書店
昭和37年(1962) 2月20日 堤常、相談役となり、小林勇、取締役会長に就任。 岩波書店
昭和38年(1963) 3月25日 小林勇《惜櫟荘主人―一つの岩波茂雄伝》刊―さきに安倍能成氏の《岩波茂雄伝》が出版されていたが、著者小林勇は岩波茂雄の下で長く店務に従事し、創業後日なお浅き当時から歿年に至るまで、公私にわたって最も近い間柄にあったので、本書は前掲書とはおのずから異なった独自の伝記を成した。 岩波書店
昭和47年(1972) 5月30日 第23回定時株主総会開催―この期の売上高は前期に比し15%の増であった。前期から継続した岩波講座《哲学》、期首に再募集した岩波講座《日本歴史》、また索引を残して全30巻を完結した岩波講座《世界歴史》等、この期の売上げには講座類が大きな比重を占めた。重版は2418点と302点の減であった。配当1割5分。取締役任期満了につき改選の結果、取締役小林勇・長田幹雄退任し、林雄次郎・木越晃取締役に新任、その他重任。監査役任期満了につき改選の結果重任。取締役会における互選の結果、取締役社長に岩波雄二郎重任、常務取締役に倉持幸一、緑川亨新任。 岩波書店
昭和56年(1981) 11月20日 小林勇歿―小林は長野県伊那郡赤穂村に生まれ、1920年17歳で上京し、4月岩波書店に入店。1928年には独立して鉄塔書院をおこし、雑誌《新興科学の旗の下に》を発行、三木清・戸坂潤・野呂栄太郎等の著作をはじめ多くの書籍を刊行した。6年後の1934年岩波書店に復帰し、《岩波新書》の創刊等にあたり、戦争末期の1945年5月〈横浜事件〉で逮捕され、終戦の日から10日を経て釈放された。戦後の岩波書店にあって小林は支配人として、また株式会社になってからは専務・会長として1972年退任するまで終始経営の中心的な役割を果してきた。 岩波書店
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