(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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昭和50年(1975) 7月11日 《レオナルド・ダ・ヴィンチ マドリッド手稿》(LEONARD DA VINCI CODICCES MADRID)刊―翻刻:ラディスラオ・レティ。日本版監修:下村寅太郎・山田智三郎・摩寿意善郎・小野健一。翻訳:清水純一・谷泰・池田廉・永井三明・裾分一弘・久保尋二。1965年、マドリッド王立図書館の一隅で、原型のまま保存されたレオナルドの自筆原稿2冊、700余頁が発見された。その記述は機械工学・力学・幾何学・光学・流水学から芸術論にわたり、運河の設計からスフォルツァ騎馬像の鋳造、アンギアリの戦いの下絵、遠近法等々に及んでおり、精密なデッサンが随所に描かれ〈万能の天才〉の謎を解く貴重な資料として世界の注目を集めた。この発見は死海写本の発見と併せて〈今世紀最大の発見〉(林達夫氏)と呼ばれた。これを人類共有のものとすべく、アメリカのマグローヒル・インターナショナル社を中心として、その刊行計画が進められていることを知ったのは、1972年秋、フランクフルトでブック・フェアが開かれていた折であった。この2冊の手稿のファクシミリ版の製作、レティ教授によるレオナルド特有の鏡像文字からの翻刻と、その各国語訳、解説から成る全5冊の国際的な共同出版。参加各国が必要とする部数に限定して1回限り印刷され、今後版を重ねることはない。この計画は貴重本のファクシミリ版国際共同出版の基本を創った。トスカーナ方言まじりの15世紀末のイタリア語で記され、しかも科学・技術の用語が定着する以前に、レオナルドが独特の言葉を多様に駆使している原文を日本語に訳し、一定の時間的制約の中で定められたスペースに組み込まねばならない。この計画に参加することは、安易な判断をもっては出来ないことであったが、今日の製版・印刷技術と国際状況が可能とするこの種の国際共同出版の意義を評価して積極的に参加。幸いに、日本版の監修・翻訳に当られた諸氏のご努力によってその困難は克服され、翻訳作業に際しては、翻刻の誤りまで発見された。この国際共同出版には米・英・西・伊・和・独・日の7ヵ国が参加した。岩波版はデラックス版200部、普及版2800部を刊行、国内でも大きな反響を呼んだ。//《マドリッド手稿》の刊行を記念して《図書》6月号を特集号とし、一方〈マドリッド手稿〉刊行記念講演会を7月4日、日経ホールにおいて開催。あわせて〈マドリッド手稿〉資料展を5月26~31日=丸善福岡支店、6月23~28日=丸善京都支店、7月7~12日=丸善大阪支店、7月21~26日=丸善東京日本橋本店で開催。入場者は1万名を超えた。 岩波書店
昭和52年(1977) 7月26日 矢代幸雄《サンドロ・ボッティチェリ》刊―監修:吉川逸治・摩寿意善郎。翻訳:高階秀爾・佐々木英也・池上忠治・生田円。イタリア・ルネッサンスの画家サンドロ・ボッティチェルリを論じ、欧米学界に画期的な影響を与えた名著の邦訳。原書は、著者35歳の折の執筆で、1925年、ロンドンで3巻の大冊本として刊行され、1929年1冊本の改訂版にまとめられた。この日本語版は29年版に拠った。 岩波書店
昭和53年(1978) 11月28日 《アッシージのサン・フランチェスコ聖堂》刊―摩寿意善郎監修。辻茂・茂木計一郎・長塚安司著。1973年、東京芸術大学イタリア初期ルネッサンス壁画学術調査団は、アッシージのサン・フランチェスコ聖堂に赴き、その建築と建立初期壁画の調査に着手した。この調査はフランチェスコ修道院当局から特別の便宜をうけて行われたものであり、1976年の第2次総合調査のほかに、78年まで数次に及ぶ個別的補助調査が実施された。調査団は建築を実測調査する一方、これまで西欧の学者もあまり触れることのなかった下堂身廊の壁画に着目し、櫓を組んでその撮影に当った。ここにその成果がまとめられ1冊の図録として刊行された。収録された図版は、数百年の間、聖堂の暗がりにあった壁画の全貌を明るみに出し、そのみごとな色彩と表現を鮮やかに示している。ルネッサンス芸術の曙光ともいうべきこの壁画の紹介は、世界でも初めての画期的なものであった。 岩波書店
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