(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"橋田邦彦"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和6年(1931) 4月1日 雑誌《科学》創刊―編集主任:石原純。編集者:安藤広太郎・岡田武松・柴田桂太・寺田寅彦・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎。(後に大河内正敏・橋田邦彦・仁科芳雄の諸氏が参加)。自然科学の向上と普及とは、哲学の確立と並んで岩波茂雄の大きな関心事であったが、わが国にドイツのNaturwissenschaftやイギリスのNatureのような理論雑誌のないことが、久しくわが学界で遺憾とされていることを知って、この雑誌を創刊するに至った。型はNaturwissenschaftにならい、用紙には特別にすかせた、つやのないアート紙を用いた。定価35銭 岩波書店
昭和8年(1933) 12月10日 従来岩波書店のマークは、橋口五葉の描いた〈かめ〉〓[マーク]を使用していたが、このときからミレーの〈種まき〉による〓[マーク]ものを使用することになり、岩波全書に最初に実施された。単行本としては翌年2月5日発行の橋田邦彦《碧潭集》から使用された。岩波茂雄はこのことについて次のように記している。“私が元来百姓であって、労働は神聖なりという感じを特に豊富に持っており、従って晴耕雨読の田園生活がすきであるという関係もあり、詩聖ウォーズウォースの〈低く暮らし、高く思う〉を店の精神としたいためです。なお文化の種を蒔くというようなことに思い及んでくれる人があれば一層ありがたい。” 岩波書店
昭和15年(1940) 8月2日 橋田邦彦文相、科学政策発表。 内外事情
昭和19年(1944) 5月1日 《科学》編集者変更―編集顧問:安藤広太郎・岡田武松・小泉丹・大河内正敏・柴田桂太・柴田雄次・坪井誠太郎・仁科芳雄・橋田邦彦、編集者:石原純(主任)・弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・富山小太郎・野口弥吉。 岩波書店
昭和26年(1951) 4月1日 《科学》4月号(20周年記念号)―このとき現在の編集者:弥永昌吉・緒方富雄・篠遠喜人・玉虫文一・坪井忠二・野口弥吉。主任:富山小太郎。創刊以来の編集者:石原純+・岡田武松・柴田桂太+・寺田寅彦+・小泉丹・柴田雄次・坪井誠太郎・安藤広太郎・末広恭二+・橋田邦彦+・大河内正敏・仁科芳雄+。(現存の方々は顧問)。 岩波書店
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