(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和12年(1937) 6月24日 帝国美術院を廃止し、帝国芸術院創立、会員72人決定、島崎藤村・正宗白鳥・永井荷風辞退。 内外事情
昭和15年(1940) 4月30日 荷風全集の出版を計画―永井荷風氏は《濹東綺譚》および《おもかげ》を岩波書店から出版し、爾来、両者の間に著者対出版社の関係がつづいていたが、岩波書店によって完全な《鴎外全集》が刊行されるに及んで、荷風氏の岩波書店に対する好意は著しく深まっていた。この日、氏は岩波茂雄とあい、全集その他の出版についてすべて依頼する旨を語り、その後、日記・未発表の原稿等をまとめて岩波書店に託し、これを保管させた。しかし。荷風氏と岩波との間に介在して両者の話を取り次ぐ人物があり、次第に意思の疏通を欠き、連絡の行き違いなど生じて、この約束は後日に至り取り消されることになった。 岩波書店
10月20日 陸軍恤兵部より岩波文庫、志賀直哉《小僧の神様》など20点、各5000部を実費で納入せよとの注文。納入総額2万6650円、納入価格は星一つにつき13銭(一般定価は20銭)であった。用紙は軍部から特別配給、すべて戦線の将兵に慰問品として配られた―その書目下記の通り。//夏目漱石《虞美人草》、徳冨健次郎《黒い眼と茶色の目》、徳田秋声《あらくれ》、泉鏡花《註文帳・白鷺》、永井荷風《おかめ笹》、志賀直哉《小僧の神様》、志賀直哉《万暦赤絵》、中勘助《銀の匙》、ハドスン《緑の館》、マーク・トウェーン《王子と乞食》、ウェブスター《あしながおぢさん》、ルドウィヒ・トオマ《悪童物語》、バルザック《知られざる傑作》、メリメ《コロンバ》、ドーデー《陽気なタルタラン》、ジョルジュ・サンド《愛の妖精》、フロベール《三つの物語》、プーシキン《大尉の娘》、アラルコン《三角帽子》、ヨハンナ・スピリ《アルプスの山の娘》。 岩波書店
昭和23年(1948) 3月 中央公論社《永井荷風全集》(全24巻)刊行開始。 出版界
昭和34年(1959) 4月30日 永井荷風氏逝去。 岩波書店
昭和37年(1962) 12月5日 《荷風全集》刊行開始―全28巻。永井荷風氏と岩波書店との間には、かつて全集刊行について諒解が成り、一時、原稿の類をすべて岩波書店の保管に託されたこともあったが、その後、不幸にも意思の疎通を欠いて沙汰止みとなり(1940年4月30日の記事参照)、戦後の全集は中央公論社から出版された。荷風氏の歿後、著作権を継承された遺族は、種々の事情により、全集刊行の出版社を決定されず、懸案となったまま3年を経過したが、最後に1962年に入って岩波書店を選定、正式に全集刊行の希望を申出られた結果、著者歿後の全集が岩波書店によって編纂・刊行されることになったのである。岩波書店は、荷風氏と浅からぬ関係を有する佐藤春夫・久保田万太郎・堀口大学氏などの示教を仰いで巻別を定め、校訂は荷風氏の文学研究者として知らるる稲垣達郎・竹盛天雄両氏に委嘱した。在来の全集に未収録の戦後の作品のほか、多くの小品・断片等も新たに蒐集され、特に世の注目するところとなっていた大正6年より歿年に至るまでの日誌が原型のまま収録されることとなって、全集としては全く面目を一新するに至った。(1965.8.14完結)。 岩波書店
昭和55年(1980) 9月25日 永井荷風《断腸亭日乗》特装上製版刊行開始―全7冊。大正6年9月から、昭和34年4月の死に至るまで、殆ど一日も欠けることなく書きつがれた荷風散人の日記。さきに全集に収められたが、今回の特装版刊行に当って、第7巻に固有名詞・事項索引を付した。(1981.3.25完結)。 岩波書店
平成2年(1990) 1月19日 永井荷風《濹東綺譚》《おもかげ》鈴木大拙校訂・解説《韶州曹渓山六祖師壇経》復刻版3冊同時発売。発行:岩波書店、発売:岩波ブックサービスセンター。 岩波書店
平成4年(1992) 7月10日 《文学》1992夏特集〈永井荷風―人および作品―〉発行。 岩波書店
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