(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

"矢内原忠雄"が書かれている年表項目はハイライトされています。

表示切替
月日 事項 年表種別
昭和12年(1937) 9月 《中央公論》9月号の矢内原忠雄〈国家の理想〉、全文削除。《婦人公論》9月号、レオン・ブルム〈幸福なる結婚〉その他により発禁。 出版界
12月1日 矢内原忠雄氏東大教授辞任―理由の一半は岩波書店刊行の著書《民族と平和》にあった。 岩波書店
昭和13年(1938) 1月 矢内原忠雄《民族と国家》、戸坂潤《読書法》、滝川幸辰《随想と回想》発禁。 出版界
2月7日 岩波文庫社会科学書目について自発的に増刷を中止せよとの指示を当局よりうける。そのため増刷・増製本を見合わせた書目下記の通り。//マルクス著《猶太人問題を論ず》《資本論初版鈔》《賃労働と資本》《賃金・価格および利潤》《フランスに於ける内乱》《哲学の貧困》。マルクス、エンゲルス著、リアザノフ編《ドイッチェ・イデオロギー》。リアザノフ著《マルクス・エンゲレス伝》。エンゲルス著《家族、私有財産及国家の起源》《住宅問題》《空想より科学へ》《自然弁証法》《反デューリング論》《フォイエルバッハ論》。エンゲルス、カウツキー著《原始基督教史考・基督教の成立》。カウツキー著《資本論解説》。ローザ・ルクセンブルグ著《経済学入門》《資本蓄積論》《資本蓄積再論》。ルイゼ・カウツキー著《ローザ・ルクセンブルグの手紙》。レーニン著《帝国主義》《何を為すべきか》《唯物論と経験批判論》《カール・マルクス》《レーニンのゴオリキーへの手紙》《ロシアにおける資本主義の発展》《マルクス・エンゲルスの芸術論》。プレハノフ著《ヘーゲル論》。//文庫以外の書で同じく自発的休刊を余儀なくされたもの下記の通り。//美濃部達吉《現代憲政評論》、矢内原忠雄《帝国主義下の台湾》《満洲問題》、野呂栄太郎《日本資本主義発達史》、平野義太郎《日本資本主義社会の機構》、佐野文夫《レーニン唯物論と経験批判論》。 岩波書店
2月23日 矢内原忠雄《民族と平和》(1936.6.25刊)発禁。この日、このことに関して岩波茂雄、警視庁によび出さる。 岩波書店
11月20日 《岩波新書》創刊―第1回20点同時発行。定価は全部50銭。初版はいずれも1万部以上印刷したが、たちまち売り切れになった。岩波文庫が古典の普及を目的とし、岩波全書が現代学術の基礎的知識の普及を目的としたのに対し、岩波新書は今日の問題に焦点を合せ、その理解や批判に必要な知識を、的確にわかりやすく解説する計画であった。文庫の古典は永遠の生命をもつものであり、したがって文庫に収めるか否かについては厳密を期し、出版物としての生命も永続することを建前としたが、新書の場合にはその生命は3~4年、長くとも5年保てぱよいという考えであった。日華事変を契機にして企画され、したがって、中国に対する国民の正しい理解に資するものを出すことは、当初からの目標で、特別に努力したが、あまりに時局に関するもののみでは読者も限局され、妨害も多く、刊行が困難になる惧れがあったので、広く一般的な教養に役だつものも入れて、ゆとりのある性格とした。この叢書の劈頭にクリスティー《奉天三十年》(矢内原忠雄訳)をおいたのは、満州の民衆のため献身的に奉仕した一伝道者の生涯を紹介して、これを通じて日本の満州侵略と満州国建設の虚偽とに対する批判を促す意味をもっていた。このような形の抗議ですら、この当時には勇気を要することであった。編集計画には、終始、三木清氏が助言者として協力した。なお、この叢書の計画については、それが岩波文庫と並ぶ普及版の叢書であるため、文庫の売行きに影響してこれを低下させはしないかという危惧もあったが、発売されてみると、それは全く杞憂に過ぎなかった。発刊の辞は岩波茂雄が書き、当時の国内体制について憂慮を禁じ得ないという所懐を述べたが、これは当時としては激越な言論と認められ、たちまち右翼から総攻撃をうけた。しかし、1944年までに98冊を刊行し、この叢書の刊行の意図は読書子に完全に支持された。 岩波書店
昭和38年(1963) 3月11日 《矢内原忠雄全集》刊行開始―全29巻。監修:南原繁・大内兵衛・黒崎幸吉・楊井克巳・大塚久雄。編集:楊井克巳・大塚久雄・藤田若雄・坂井基始良・矢内原伊作。矢内原氏が生前、経済学者と伝道者と教育者とを一身に兼ね、その著作もこの三つの分野にわたって厖大であったため、歿後、或いは学術的著書だけをまとめて出版、或いは宗教的著書だけを集めて刊行したいという申込みが、二、三の出版社から行われ、いずれも全著作を集成する試みには躊躇の色を示した。本全集は、それにあきたりず著者の全貌を伝えたいという遺族・門下の方々の切望に応えて刊行されたもので、編集にあたっては、個人雑誌《嘉信》掲載の講義・所感等を改めて分類・総括するなど、特別な配慮が行われ、著者の多面的な業績が整理されて読者に伝えられた。発売前から門下の方々の並々ならぬ努力があり、予想を遥かに上回る多数の読者を得た。(1965.7.29完結)。 岩波書店
昭和40年(1965) 7月29日 《矢内原忠雄全集》全29巻完結。(第1回、1963.3.11)―当初全27巻として刊行を開始したが、新しい追加資料2巻を加えた。 岩波書店
昭和44年(1969) 12月13日 《江原万里全集》刊行開始―全3巻。編集:南原繁・矢内原伊作。氏は、矢内原忠雄・三谷隆正とともに内村鑑三の門に学んだキリスト者であり、1933年、43歳の若さで天逝したが、その深い信仰と経済学者としての学識をもって、聖書研究・イギリス宗教改革の研究に携わり、他方、個人雑誌《聖書之真理》と毎日曜日の〈鎌倉講演〉によって軍国主義的風潮に対する時代批判をやめなかった。この全集は、この隠れた人格者であり、独自の思想家であった氏の全著述を収録したものである。(1970.5.15完結)。 岩波書店
昭和46年(1971) 5月12日 《藤井武全集》刊行開始―全10巻。編集:南原繁・藤井立。藤井氏の主要著作は、これまで二度にわたって刊行されたが、このたび南原氏ならびに藤井立氏によって、さらに完璧を期して編集が行われた。これによって、内村鑑三の流れを汲む矢内原忠雄・三谷隆正・江原万里・藤井武の4氏の全集がすべて刊行されることになった。(1972.2.15完結)。 岩波書店
昭和52年(1977) 12月8日 矢内原忠雄《聖書講義》刊行開始―全8巻16分冊。1963年3月から1965年7月にかけて刊行された《矢内原忠雄全集》全29巻のうち、第6巻から第13巻にわたる8巻は、氏が日曜集会において行い、個人雑誌《嘉信》に発表された聖書講義の集大成であった。読者の強い要望に応えて、全集から単行本のシリーズとし、かつ携行繙読の便をはかって分冊の形式とした。(1978.7.25完結)。 岩波書店
昭和53年(1978) 7月25日 矢内原忠雄《聖書講義》全8巻16分冊完結。(第1回、1977.12.8)。 岩波書店
昭和56年(1981) 12月7日 矢内原忠雄《キリスト者の信仰》刊行開始―全8巻。1963年3月以降《矢内原忠雄全集》全29巻が刊行されたが、このシリーズは、この全集を基礎としつつ、それに収録された氏のキリスト者としての著作・論考・エッセイ・詩歌等を再編成して全8巻とした。(1982.7.7完結)。 岩波書店
昭和57年(1982) 7月7日 矢内原忠雄《キリスト者の信仰》全8巻完結。(第1回、1981.12.7)。 岩波書店
PAGE TOP